★★★★
ローマ帝国の将軍タイタス・アンドロニカスが、ゴート族との戦争に勝利して首都に凱旋する。彼は捕虜にしたゴート人の女王タモーラの長男をバラバラに切り刻んで殺害し、戦死した我が子への生贄にした。やがてタモーラは、新しくローマ皇帝になったサターナイナスと結婚、タイタス・アンドロニカスとその一族への復讐を実行する。
ディミートリアス さてと、その舌でしゃべれるなら、言いつけてこい、
誰に舌を切られ、誰に犯されたか。
カイロン 思っていることを書いて、ばらしちまえ、
その二本の切り株で字が書けるなら。
ディミートリアス 見ろ、腕ふりまわして訳わかんないこと書いてるぞ。
カイロン 家に帰って、きれいな水を持ってこいと言って、手を洗うんだな。
ディミートリアス 言おうにも舌はなく、洗おうにも手はない、
だから、その辺を黙ってほっつき歩かせておこうや。
カイロン これが俺だったら首くくるっきゃないな。
ディミートリアス その縄を綯う手があればな。(p.80)
暴力的な場面が満載で驚いた。タイタス・アンドロニカスがタモーラの長男アラーバスの四肢五体を切り刻んで燃やしたかと思えば、タモーラの下の息子たち(ディミートリアスとカイロン)がタイタス・アンドロニカスの娘ラヴィニアの両手を切り落としたうえ、ものが言えないよう舌を切り取って強姦している。さらにタイタス・アンドロニカスが逮捕された息子の助命を嘆願するため、自身の左手を切り落としているのだから凄まじい。この執拗なまでの肉体欠損はいったい何なのだろう? 世間ではリョナという性癖があるようで、『メイドインアビス』【Amazon】はそれを取り入れた傑作アニメだった*1。ラヴィニアの両手と舌が切断されるところはまさしくこのリョナに分類されると言える。当時の観客たちは、不具になったラヴィニアを見て性的興奮を覚えていたに違いない。まさか現代で流通しているフェティシズムが、遠い遠い昔のエリザベス朝期にも見られるなんて夢にも思わなかった。ただ、スティーブン・ピンカー『暴力の人類史』【Amazon】によると、中世の拷問は大衆娯楽の一形態で、犠牲者が悲鳴をあげて苦しむのを大勢の人びとが大喜びで見物したという。なので、シェイクスピアの時代にその精神が残っていても不思議ではない。人間には凄惨な暴力を目の当たりにしたいという本質的な欲求が備わっている。
全体的に本作は復讐が復讐を呼ぶ陰鬱な悲劇だけど、中にはちょっとずれた会話があって、それが一服の清涼剤というか、ブラックユーモア的なアクセントになっている。具体的には、第三幕第二場にあるハエをめぐるやりとりがそうで、ハエを殺したマーカスに対するタイタス・アンドロニカスの態度は、本気なのか冗談なのか判別がつかない。この人を食ったところがシェイクスピア劇の醍醐味ではなかろうか。前にも書いた通り、戯曲はストーリーよりもセリフのほうに注目すべきで、シェイクスピアが苦手という人は読み方を変えてみるといいかもしれない。いやホント、会話がとても面白いから*2。
タイタス・アンドロニカスがタモーラに息子(ディミートリアスとカイロン)の人肉パイを食べさせる場面を読んで、殷の紂王が周の文王に息子(伯邑考)の肉で作った羹を食べさせたエピソードを思い出した。こういうのは洋の東西変わらないのだろう。本作は残酷な場面が目白押しで、異色のシェイクスピア劇という感じだった。