海外文学読書録

書評と感想

アンジェラ・カーター『新しきイヴの受難』(1977)

★★★★

就職のためにロンドンからニューヨークに渡ったイヴリンだったが、勤務予定の大学が爆破されたために計画がご破産になる。アメリカは政情が不安定で、市街地でゲリラが銃撃戦を繰り広げていた。イヴリンは黒人娼婦のレイラに取り返しのつかない後遺症を残した後、車で砂漠に逃避する。そこで武装した女性に拉致され、女だけの地下世界ベウラに連行されるのだった。イヴリンは外科手術を受け、女性の体を持ったイヴになる。

男性性、女性性は、互いが携わる相互依存。それは確かだしーーある特質とその否定は、必然性の中に結びついている。けど、男性性の本質、女性性の本質って何? そこに男や女は含まれるの? それはトリステッサの長い間無視されてきた器官や、あたしの出来立てほやほやの人工のワレメや飾りの乳房とかと関係あるの? 何も解らない。男と女の両方であるあたしにさえ、これらの問いの答えは解らない。途方に暮れるばかり。(pp.196-197)

あらすじと引用を読めば分かる通り、本作はごりごりのフェミニスト文学なのだけど、荒廃したアメリカと聖書の世界観を融合させたヴィジョンが強烈で、とても印象深い内容だった。人によっては『地下鉄道』みたいにSFに分類するかもしれない(特に何でもかんでもSFにしたがるSF者と呼ばれる人たちは)。作中に漂う終末感が何ともたまらないのである。アンジェラ・カーターの小説は『ワイズ・チルドレン』【Amazon】が傑作で、『夜ごとのサーカス』【Amazon】がいまいちという評価だけど、本作は『ワイズ・チルドレン』に次ぐくらいの出来だと思う。

僕はフェミニストじゃないのに、なぜかフェミニスト文学は好きだ。価値観を揺さぶられるからだろうか。僕は男性に生まれてきたことで幾ばくかのメリットを享受し、同じくらいのデメリットも引き受けてきた。男性に生まれて良かったというよりは、女性に生まれなくて良かったと思っているクチである。現状、女性の権利は男性に比べて制限されているから。ただその一方、専業主婦が羨ましいとも思っていて、男性として生きることのプレッシャーから解放されたいと願っている(要は「働きたくないでござる」ってことだ)。こういう人ってけっこう多いのではなか。現代日本において、男性であること、女性であることは果たしてどちらがマシなのか? みんなの意見を聞いてみたいところである。

他のフェミニスト文学同様、本作もこちらの価値観を揺さぶってくるような小説で、たとえば上の引用のように、男性性と女性性の本質が何なのか分からなくなってしまった。イヴリンは性転換して男性と女性の両方を経験する。男性のときは女性を暴力的に蹂躙し、女性になってからは男性から同じように蹂躙される。一方、イヴリンと関わるトリステッサは、当初は女性だと思われていたものの、実は男性で、男性であるがゆえに完璧な女性に、つまり自分自身の欲望を具現化する存在になった。「もしも女の本当の美しさが男の秘密の熱望を最も完璧に具現化することにあるなら、トリステッサが世界で最も美しい女、人間離れした永遠の女になることができたとしても何の不思議もない。」(p.170)とは言い得て妙である。このように性別を行き来している2人を見ていると、男性性と女性性は生物学的な意味でしか違いはなく、しかしその違いがゆえに生き方を規定されているんじゃないかと思う。およそ文明化された社会であるのなら、こういう違いを取っ払ってフラットにすることも可能なのではないか。人間は高度に発達した文明を持っているのだから、その方面に知恵と労力を使ってもいい。

ところで、僕は次のセリフを読んでぎょっとした。

「神話は歴史より教訓的なんだ、イヴリン。<マザー>は単為生殖の元型を復活させようとしている、新たな方式を利用して。彼女はお前を去勢するよ、イヴリン。それからお前の内側に穴を開けて、『結実の女性空間』と読んでるものを創り、完全な女性性の標本にするだろう。それから、お前の準備ができ次第、お前自身の精子でお前を妊娠させる。お前が彼女と番った後に私が採取したものを、集めて冷凍してあるのよ」。(pp.91-92)

主語が大きくて恐縮だけど、男性というのはみな去勢されることに対して恐怖を抱いている。そして、自分が妊娠することに対しても恐怖を抱いている。そういう覚悟が出来てないというか。この部分を読んで、村田沙耶香の『殺人出産』【Amazon】と『消滅世界』【Amazon】を思い出した。この2つの小説で描かれた社会では、男性も人工子宮を取り付けて妊娠できるようになっていて、読んだときはぎょっとしたものだった。男性にとって妊娠とは、自分とは縁遠いことで、当事者意識が芽生えていない。去勢も妊娠も同じように忌避すべき対象になっている。

というわけで、読んでいて価値観を揺さぶられまくりだった。