海外文学読書録

書評と感想

マリオ・バルガス=リョサ『つつましい英雄』(2013)

★★★★

(1) ピウラ。運送会社の経営者フェリシト・ヤナケの元に脅迫状が送られてくる。内容は、会社の安全のために月々500ドル払えというものだった。フェリシトは自分のポリシーを守るため、その要求を突っぱねる。彼はマフィアに屈しない英雄として新聞で有名になるも、愛人のマベルが誘拐されてしまうのだった。(2) リマ。保険会社の経営者イスマエル・カレーラは80代。妻は既に亡くなっており、双子の息子は揃ってろくでなしの悪党になっている。双子が自分の死を願っていると知ったイスマエルは、密かにメイドのアルミダと結婚、彼女を遺産の継承者にする。双子は結婚の無効を主張するのだった。

「心理士に頼るのは危険だと君に言っただろう」と、リゴベルトがルクレシアに思い出させた。「いったいいつ、君の言うとおりにしようと思ったのか、わからない。心理士は悪魔そのものよりもっと危険となりうるんだ、フロイトを読んだときから、わかっていたよ」(p.119)

バルガス=リョサの小説って『緑の家』【Amazon】は読みにくかったし、『世界終末戦争』【Amazon】はやたらと長かったしで苦手意識が強いのだけど、本作はまるでハリウッド映画のように娯楽性が高くて面白かった。奇数章と偶数章で2つの異なるプロットが交互に展開、そのどちらもサスペンフルで先が気になるという。奇数章のプロットは、警察がマフィアと思しき脅迫者を追いかけるミステリ小説的な楽しみがあるし、偶数章のプロットも、悪党の双子が非合法的な手段に訴えかけてくるうえ、サブプロットに悪魔騒ぎが盛り込まれていて読ませる。このようにエンタメ度の高いプロットのほか、地域性の強い細部や実験的な会話文の挿入など、非常に厚みのある内容になっていて、ただの娯楽小説では終わらないところが好ましい。この辺はさすが主流文学の書き手という感じがする。本作はバルガス=リョサノーベル文学賞受賞後初の長編だけど、ノーベル賞作家は受賞して名声を極めると、若い頃みたいな尖った小説は書かずに、こういう純粋に面白い小説を書く傾向にあると思う。正直、『緑の家』みたいな複雑怪奇な小説はもう読みたくないから、これはこれでありがたい。本作はハリウッドで映画化されてもおかしくないくらいの出来なので、娯楽性の高いプロットとペルーの土俗性を同時に味わいたい人にお勧めである。

読み終わってみると、親子の情というのが本作のテーマのような気がしてきた。フェリシトと息子のミゲルは実は血が繋がっておらず、終盤では親から子へ酷薄な宣告が言い渡される。日本だと家族は血の繋がりよりも心の繋がりが重要みたいな価値観があるけれど、この社会では血の繋がりがとても重要なのだ。とはいえ、フェリシトとミゲルについては、ある理由から心の繋がりさえないから救いようがないのだけど。さらに、イスマエルと双子の息子は血が繋がっているのに、親子の絆がまったくなく、あまつさえ反目し合っているのが何とも悲しい。本作は(1) と(2) 、どちらのプロットも親子関係が破綻しているところが共通していて、家族とは何なのだろうとちょっと虚しい気持ちになる。ただその一方、イスマエルに長年仕えてきたドン・リベリゴは、息子のフォンチートとしっかり絆を育んでおり、親子関係についてはこれだけが唯一の救いだった。

子育て中の親や、将来子供を生み育てようとしている人は、本作を読むとけっこう身につまされるかもしれない。