海外文学読書録

書評と感想

P・G・ウッドハウス『お呼びだ、ジーヴス』(1953)

★★★

第二次世界大戦後。ロースター伯爵のビルは、廃屋寸前と化したロースター・アビーを売りたがっていた。一方、巨額の富を持つアメリカ人の未亡人ロージーは、イギリスのカントリーハウスに憧れていてそうした屋敷を買いたがっている。ビルは賭け屋の仕事で失敗して三千ポンドの負債を抱えており、債権者に追いかけられると同時に経済的に困窮していた。執事のジーヴスが問題を解決する。

「君のおかげで助かった、ジーヴス」彼は言った。「君のすばやい機知のなかりせば、すべてが露見していたところだった」

「お役に立てまして恐悦至極に存じます、閣下」

「あともう一瞬で、女の直感が一仕事やってくれて、人類を驚倒させるべき結末に至っていたことだろう。君はたくさん魚を食べるんだったな、ジーヴス?」

「大量にでございます、閣下」

「バーティー・ウースターがよくそう言っていた。君は舌平目やらサーディーンやらに猛烈な勢いで立ち向かうんだって、奴は言ってた。また奴は君の偉大な知能をリン酸の働きに起因するものとも考えていた。そのおかけで何百回も絶体絶命のところをスープの底からすくい上げてもらったって。奴は君の偉大な才能をほめちぎっていたんだ」

「ウースター様には、わたくしがあの方の御ためにいたしてまいりましたささやかな努力に対しまして、常に感謝と高いご評価とを賜ってまいりましたところでございます、閣下」(p.73)

ウッドハウス・コレクション第12弾。

今回はバーティーが不在で、語りも三人称視点による番外編だけれども、主人のビルがバーティーと似たタイプのだめんずのせいか、さほど違和感がなかった。人称が違っていても会話は気が利いているし、お得意の比喩表現も光っている。このシリーズって大抵は望まない結婚を回避するために奔走することが多いけれど、本作はそれとは正反対の運動を指向しており、この辺がいつもとは違うなと思った。ビルには獣医師の婚約者がいて、彼女とは絶対に別れたくない。何とか穏便に問題を解決したいと願っている。一方、未亡人のロージーはブワナという白人のハンターに惚れていて、彼と結婚したいと思っている。本作は紆余曲折がありながらも、すべてが収まるべきところに収まる喜劇の王道といった感じだった。これぞイギリス文学の伝統という気がする。

「ロースター・アビーほどの邸宅は、今日におきましては財産ではないのでございます、旦那様。むしろ、負の遺産でございます。(……)不幸にも社会主義立法が、英国における先祖代々の貴族の資産を枯渇させたのでございます。われわれはただ今いわゆる福祉国家に住まいいたしております。それはすなわち、――広い意味で――誰もが完全に貧窮している、ということを意味するのでございます」(p.165)

この小説を読んで驚いたのが、戦後の情勢を反映して貴族が没落しているところだった。ビル以外の貴族はみんな労働者になっているし、ロースター・アビーの大邸宅も朽ち果てていて修理に金がかかる始末。さらに、本作でバーティーが不在なのは、貴族階級が自活する術を身につける教育施設に通っているからだった。うーん、何て世知辛い世の中になったのだろう。このシリーズは、時代の流れとは無縁なある種のお気楽ファンタジーだったのに……。アメリカ人の富豪がイギリス貴族の邸宅を買い付けに来るところは、カズオ・イシグロ日の名残り』【Amazon】を想起させる。とりあえず、『日の名残り』が好きな人はジーヴスものを読むべきだし、ジーヴスものが好きな人は『日の名残り』を読むべきだろう。この2つは相互補完の関係にあるから。カズオ・イシグロは、ジーヴスをモデルにして『日の名残り』のスティーブンスを造形している。

国書刊行会ウッドハウス・コレクションを読むのは実に8年ぶりだけれども、残り2冊でシリーズをコンプリートできるので、頑張って読んでみることにした。実を言うと、当時は飽きてしまって読むのを中断していたのだ。偉大なるマンネリ、それがウッドハウスのジーヴスものである。