海外文学読書録

書評と感想

ニコス・カザンザキス『キリスト最後のこころみ』(1951)

★★★★

ナザレで大工をしているイエスは、ローマ人のために処刑用の十字架を作っていた。そのことで周囲の人々からは軽蔑されるも、彼にとってその行為は自分をメシヤに選んだ神に対する抵抗だった。やがてイエスは神と和解し、人間の道から神の道を歩み始める。

「互いに愛し合いなさい、互いに愛し合いなさい」と、なおもひるまず、哀願するように彼はつづけた。「神は愛だ、私もかつては神を恐ろしいものだと思っていた。彼が触れたら、山々は煙をふき、人々は死ぬと思っていた。私は神から逃げるために修院に身を隠した。私は顔を地にうつ伏せて待った。今に来るぞ、私は思った。今に雷の様に私の上に落ちてくるぞ、そしてある朝、彼はついに来た。微風のように優しく吹いて言った。『起て、吾が子よ』私は起って、来た。そして今ここにいる」(pp.177-8)

僕はキリスト教には色々と懐疑的なので、この本のいい読者ではない。しかしそれでも、イエスとその時代が生き生きと描かれていたのには感動したし、聖書を大胆に逸脱したイエス像にも感心した。特に従来裏切り者とされていたユダの扱いや、十字架上でのイエスの妄想など、教会の公式見解とはだいぶ異なっているので、本作がカトリック教会から禁書に指定されたというのも納得できる。

何と言ってもイエスが格好いい。ユダたちがイスラエルを救うことしか考えてないのに対し、イエスは人類を罪から解放したいと願っている。また、彼はマグダラのマリアに向かって、「メシヤとは全世界を愛する人の事だ。メシヤとは全世界を愛するために死ぬ人の事だ!」と力強く断言している。これには信者でない僕でもぐっと来た。その後、砂漠から帰ってきてからは終末思想に転換し、言ってることが過激化したのには面食らったけど、それでも彼が魅力的な人物であることは否定できない。とりわけ僕が気に入ったのは、故郷に帰ったときに村人たちからバカにされ、家族からはキチガイ扱いされる場面だ。メシヤも万能ではないところが可笑しいし、さらには乱闘にまで発展する一大活劇が面白い。

あと、イエスが巻き起こす奇跡がマジックリアリズム紙一重なのが興味深い。たとえば、洗礼者ヨハネヨルダン川でイエスを祝福しようとしたとき、川の流れが止まって魚の群れが四方から押し寄せてイエスの周りで踊り始めるエピソードがある。これなんか現代から見たらマジックリアリズムそのもので、聖書は無自覚にその文学的技法を駆使していたのだなと感心した。

なお、本作は1988年に『最後の誘惑』【Amazon】というタイトルで映画化されている。監督はマーティン・スコセッシ、主演はウィレム・デフォー。映画も是非観てみたい。