海外文学読書録

書評と感想

パク・ミンギュ『ピンポン』(2006)

★★★★

中学校で凄惨ないじめを受けている釘とモアイ。2人は原っぱのど真ん中で卓球台を見つける。彼らはそこで卓球をするようになるのだった。一方、2人をいじめていた同級生はある事件を機に逃亡中の身になり、釘とモアイは卓球用品店主の伝手で「ハレー彗星を待ち望む人々の会」に加入する。

世界とは、多数決だ。エアコンを作ったのも、いってみれば自動車を作ったのも、石油を掘ったのも、産業革命や世界大戦を起こしたのも、人類が月へ行ったのも、歩行ロボットを作ったのも、スペースシャトルがドッキングに成功したのも、すっ、すっと追い越していくあの街路樹たちがあの品種であの規格で、あの位置に植えられているのも、すべて多数の人がそう望みそう決めたからだ。誰かが人気の頂点に立つのも、誰かが投身自殺するのも、誰かが選出されるのも、何かに貢献するのも、実は多数決だ。つまるところそうなんだ。(p.26)

これは何とも言い難いへんてこな小説だった。少なくとも普通のリアリズム小説ではないし、かと言ってマジックリアリズムでもない(そもそもマジックリアリズムの定義がよく分からない)。釘とモアイは終盤で超現実的なへんてこな事態に巻き込まれるのだけど、これって実は夢の世界なんじゃね? と思うくらい話がぶっ飛んでいる。60億もいる地球の人口のなかで、世界に「あちゃー」された人間がここに2人いて、そんな彼らが人類をインストールしたままにするかアンインストールするかを選択する卓球勝負に挑む。そしてその際、助っ人としてラインホルト・メスナーマルコムXが召喚される……。この筋書き、やっぱりへんてこだよなあ。釘もモアイも多数決で決められた世界からオミットされた存在だから、かろうじて世界にしがみついている僕としても、彼らの選択には納得せざるを得ない。うん、そうだ。60億も人口がいたらどうしたってあぶれる者が一定数は出てくる。世界に「あちゃー」された人間が一定数は出てくる。すべての負け犬たち、あるいはかつて負け犬だった人たち、これから負け犬になる予定の人たちは必読ではなかろうか。

本作を読んで、現代文学は無国籍化の方向に進んでいるんじゃないかと思った。この小説、ちょっと名詞周りを手直ししたら韓国の小説とは分からないし、今のままでも世界中の人が違和感なく読めるようなフラットな内容になっている。主人公が釘とモアイという国籍不明の名前にされているところからして、無国籍化を狙っているのではないか? まあ、この2人は村上春樹の小説とは違って、パスタではなく中国風冷麺を食べているけど。

もちろん、以上は全豹一斑の可能性もある。僕はそれほど現代文学に通じているわけではないので。そもそも、1人の人間が現代文学の全容を掴むなんてことは物理的に不可能だろう。ともあれ、本作はへんてこであることは間違いないので、世界の風変わりな文学に触れたい人にもお勧めである。