海外文学読書録

書評と感想

サマセット・モーム『月と六ペンス』(1919)

★★★

作家の「わたし」が画家のストリックランドについて回想する。ロンドンで株式仲買人をしていたストリックランドは、40歳のとき突如として妻子を捨てて出奔する。浮気が原因だろうと考えた妻は、夫がいるとされるパリに「わたし」を派遣。ストリックランドはそこで絵の修行をしていた。

「ストリックランドを捕らえているのは、美を生み出そうとする情熱です。情熱が彼の心をかき乱し、彼をさまよわせる。あの男は永遠の巡礼者です。信仰と郷愁に絶えず悩まされている、そして、彼の内に棲みついた悪魔は残酷だった。たとえば真実を求める気持ちが異様に強い人間がいます。真理を希求するうちに、自分の世界を土台から粉々に破壊してしまう。ストリックランドはその類の人間でした。彼の場合、求めたものは真実ではなく美でした。わたしは、彼に深い同情しか感じません」(p.332)

天才の業に焦点を当てた芸術家小説だった。芸術家=変人という図式は、百年も前からあったのだなと感心する。ストリックランドの経歴はモデルであるゴーギャンを踏襲しているけれど、人格が破綻しているところが決定的に違っていて、彼にはゴッホみたいな芸術家仲間はできないだろうと確信できる。ストリックランドは「描かなくていけない」という使命感に突き動かされ、そのためには他者に対して極めて冷酷になれるのだから恐ろしい。外面はすごく無愛想で、妻子を一文無しで放り出したり、何かと世話を焼いてくれるストルーヴェをすげない態度であしらったり、こんなんでよく株式仲買人をできていたものだと不思議に思う。さらに、自分が病気のときに看病してもらっても、自分のせいで人が死んでも、一切お構いなし。周囲の評判を気にせず、ひたすら己の情熱の内側に生きている。

それにしても、ストルーヴェがとても気の毒だった。彼も一応画家ではあるのだけど、自分に才能がないことを自覚している。しかし、なぜか描いた絵は売れるので、多少の金は持っている。性格はお人好しで自尊心がなく、他の芸術家仲間からバカにされながらも、金をタカられているのだから不憫だ。そして、彼の不幸はストリックランドとの関係においてより際立つことになる。ヘボ画家のくせに批評眼だけは一流のストルーヴェは、世間が見向きもしないストリックランドを一人天才だと認めていたのだ。だからストルーヴェはストリックランドの世話を焼く。ところが、毎度手痛いしっぺ返しを食らう。これがまた洒落にならないほど酷くて、天才なら何をしても許されるのだろうかという素朴な疑問をおぼえたのだった。

本作は昔の小説のわりに洞察力に優れていて、訳文のせいもあってか、あまり古臭さを感じさせないところがいい。

以下、メモ代わりに感心した箇所を引用する。

労苦は人を高潔にするというが、それは嘘だ。幸福は時によって人を立派にすることもあるが、おおかたの場合、労苦は卑劣で意地悪な人間を作り出すだけだ。(p.106)

義憤には必ず自己満足がふくまれていて、ユーモアのセンスがある人間ならだれでもきまり悪さを感じるものだ。よほど真剣でなければ、自分のことを笑ってしまいそうになる。(p.199)

おそらく、わたしたちは無意識に他人に対して影響力を持ちたいと思い、相手が自分の意見をどれくらい重要に思っているか気にする。結果、自分がなんの影響も与えられない人間を憎む。著しくプライドを傷つけられるからだ。(p.251)

他にも男女についての見識がいくつか出てきたけれど、それらはどこか時代の制約を感じさせるもので、フェミニストが読んだら怒りそうなものばかりだった。ともあれ、上に引用した文章を読んで、サマセット・モームってなかなか鋭い作家だと感心した。