海外文学読書録

書評と感想

ウンベルト・エーコ『プラハの墓地』(2010)

★★★★

19世紀。ユダヤ人嫌いの祖父に育てられたシモーネ・シモニーニは、祖父の死後、公証人のもとで遺言書をはじめとした文書偽造の仕事をする。やがて彼は各国の秘密情報部と接触し、文書偽造の技術を駆使して政治的陰謀に関わっていくのだった。

人は海や山を舞台にした事件や犯罪小説を単なる娯楽として夢中になって読みます。そして、知った内容をあっけなく忘れてしまい、小説で読んだ事柄を史実のように語られると、なんとなく聞き覚えがあると感じて、自分の主張の裏付けだと考えるものなのです。(p.374)

該博な知識に裏打ちされたディテールも魅力的だけど、何より陰謀小説やスパイ小説みたいな高い娯楽性を兼ね備えていて面白かった。主人公以外はみな実在の人物らしく、物語も実際の歴史を辿っているという。デュマやガリバルディといった有名人と接触したのには軽く興奮したし、さらには、イタリア統一、パリ・コミューンドレフュス事件、『シオン賢者の議定書』と、歴史の大舞台に裏側から関わるのも刺激的だった。陰謀論が蔓延する19世紀ヨーロッパの雰囲気を追体験できたのが収穫で、こういうことができるのもフィクションならではだと思う。

フリーメイソンイエズス会ユダヤ人が陰謀論の主役というのは、現代とあまり変わらなくて苦笑してしまう。しかも、陰謀論と言ってもゼロから物語を作るわけではなく、既存の小説や文書を参考にして陰謀論を練り上げていくのだから何とも滑稽だ。有名どころだと、デュマやドストエフスキーの小説を元ネタにしている。今はインターネットの普及で文書を偽造してもすぐに検証されて見破られてしまうけど、当時はそういう手段がないから厄介と言えるだろう。マイナーな小説(外国のだったらなおいい)を元ネタにされたらまず分からない。

主人公がユダヤ人嫌いの小悪党で、計画のためには人殺しも辞さないところがいい。金欲しさに秘密情報部からの依頼を受け、時には自分の失敗をネタに強請られ悪事を働いている。こういう非情な人物だからこそ物語が上手く転がっていくわけで、本作のスパイ小説のような面白さもこの人物ありきだと思った。