海外文学読書録

書評と感想

ミヒャエル・エンデ『モモ』(1973)

★★★

浮浪児のモモが、町外れの円形劇場跡に住み着く。彼女には人の話を聞く才能があり、町の人たちから慕われるようになった。ところが、町に「時間どろぼう」がやってきて状況は一変する。大人たちは時間に追われるようになるのだった。

時間をケチケチすることで、ほんとうはぜんぜんべつのなにかをケチケチしているということには、だれひとり気がついていないようでした。じぶんたちの生活が日ごとにまずしくなり、日ごとに画一的になり、日ごとに冷たくなっていることを、だれひとりみとめようとはしませんでした。(p.106)

一読した感想は、「村上春樹っぽい」だった。日常に侵食してくる異界のものという枠組みは、まさに『羊をめぐる冒険』【Amazon】以降の村上春樹といった感じ。村上春樹が本腰を入れて児童文学を書いたらこうなるのではないか。村上春樹は本作を参考にして創作しているのではないか。読んでいる最中、そのようなことが脳裏をよぎった。

プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』【Amazon】によると、プロテスタントカルヴァン派は予定説を信じているのだという。予定説とは、人は死んだら天国へ行くか地獄へ行くかあらかじめ決められている、という説だ。しかしそうは言うものの、天国へ行く人間は一所懸命に働いて成功した人間のはず。だから富を蓄積しても休まずに働けば自分が選ばれた人間になる。そのような理屈から、プロテスタントは選ばれた人間になるべく時間を惜しんで働いている。そして、その集積によってアメリカの資本主義が発展したというのだ。

本作の価値観はそれとは正反対で、一見して無駄とも思える時間がどれだけゆとりを生んでいるか、人は何のために生きているのか、そういう人生の根本的なあり方を問いかけている。僕は天国も地獄も信じていないから、プロテスタントよりも本作の価値観のほうに共感するけれども、これをたとえば「家庭よりも仕事のほうが大事」みたいなビジネスマンが読んだらどう思うのか気になった。何となく鼻で笑うような気がする。

陽気なストーリーテラーのジジが、時間どろぼうの策略にはまって芸能人になる。富と名声は手に入れたものの、常に時間に追われていて、モモと楽しく過ごした愛おしいひとときから遠ざかってしまう。何が幸せかは人それぞれとはいえ、高度資本主義経済が人間から牧歌的な時間を奪ってしまう寂しさが感じられた。

短い人生、お金よりも時間のほうが大切である。しかし、現実にはお金がないと時間が買えないのであり、両者のバランスをいかにして取るかが悩みどころだ。