★★★
高校時代、「私」と 仲間たちはエイドリアンの哲学的知性を評価して親友になった。卒業後、彼はケンブリッジ大学に進学し、「私」の元カノであるベロニカと付き合うことになる。ところが、しばらくしてエイドリアンは自殺してしまった。その後、老境になった「私」のもとにベロニカの母から手紙が届く。それによると、エイドリアンの日記を遺贈したいという。
私は生き残った。「生き残って一部始終を物語った」とはよくお話で聞く決まり文句だ。私は軽薄にも「歴史とは勝者の嘘の塊」とジョー・ハント老先生に答えたが、いまではわかる。そうではなく、「生き残った者の記憶の塊」だ。そのほとんどは勝者でもなく、敗者でもない。(p.71)
ブッカー賞受賞作。
こういう記憶を題材にした話ってカズオ・イシグロが書きそうなイメージだけど、やはり他の作家が書くとそれはそれで味わいが違うなと思った。本作は随所に哲学的・文学的な決め言葉がビシっと出てくるため、読んでいて気持ちいいのである。なぜエイドリアンは自殺したのか? という謎の明かし方も素直ではなく、文学的であるとはこういうことなのかと納得した。
青年時代と老年時代のコントラストが印象的だった。高校時代の「私」と仲間たちがこれまたすごくて、仲間の1人はラッセルとウィトゲンシュタインを読み、エイドリアンはカミュとニーチェ、さらに別の仲間はボードレールとドストエフスキーを読んでいる。そんななか、「私」はジョージ・オーウェルとオルダス・ハクスリーを読み、授業中は教師相手に斜に構えた受け答えをしている。そのなかでもエイドリアンはひときわ鋭く、教師に一目置かれているというわけ。イギリスの高校ってこんなにハイレベルなのかよ、とびっくりした。まるで日本の旧制高校のよう。
「私」の元カノであるベロニカがくそウザかった。学生時代に付き合っていたときも嫌な感じだったけど、老年になって再会したときもとにかく酷いこと酷いこと。謎めいた行動をとって「私」を振り回した挙句、「あなたはまだわかってない」と断じるその態度が嫌らしい。普通なら言葉を尽くして分かってもらおうと努力するところ、この女はこちらの思いを察してほしいみたいなところがあって、その身勝手さがむかつくのである。これは男女の差なのだろうか? 政治的に正しくない発言であれだけど。
とりあえず、本作は文章が良かった。ジュリアン・バーンズがブッカー賞の傾向と対策を考えて書いたような小説である。