海外文学読書録

書評と感想

J・M・クッツェー『遅い男』(2005)

★★★★

60歳のポールが交通事故で片足を失い、自宅で介護サービスを受けることになる。当初は介護士の態度が気に食わずに何人もクビにしていたが、マリアナという介護士と運命的な出会いを果たし、彼女に恋心を抱くようになる。しかし、マリアナは子持ちの人妻だった。さらに、そこへ作家のエリザベス・コステロが現れ……。

わたしたちみたいな年寄りには、愛は必要ないのよ。わたしたちに必要なには介護。足腰ががくがくしていたら時には手をとってくれる人。お茶をいれてくれる人、階段をおりる時に手を貸してくれる人。いよいよ、その時が来たら、目を閉じてくれる人。介護と愛は別物よ。(p.187)

あのエリザベス・コステロがまさかの再登場でテンションが上がった。しかも、ポールへの絡み方が最高に奇妙で面白い。というのも、自分から押しかけてきたのに、「あなたのほうから来た」などと言いながらポールに付きまとうのである。もちろん、エリザベス・コステロは作者の分身だから、このやりとりは昔懐かし不条理文学を踏襲している。クッツェーがかつてそういう小説を書いていたことを鑑みると、とてもニヤニヤできる趣向だ。

60代の老人が不相応な恋愛をするとどうなるのか? というのが本作の見所のひとつだろう。相手の家庭に波風を立てる禁断の恋で、しかも金にものを言わせて強引に割って入ろうとする。あしながおじさん気取りでマリアナの息子の学費を支援すると言い出し、自分の感情がプラトニックなものであることを強調する。僕はこれを読んで、善意とは時に暴力になるのだなと思った。善意のやりとりは等価交換じゃないと相手に過度の負担がかかる。よほど図々しくない限り、返報性の原理が重くのしかかってくる。それを跳ね除けるのは難しい。

オーストラリアは移民大国のようで、本作のマリアナも元クロアチア人。母国では大学を出て絵画修復の仕事をしていたのに、ここでは介護の仕事をしていた。さらに、夫も母国ではステータスの高い仕事をしていたのに、ここでは自動車工に甘んじている。近年、日本でも移民を受け入れて介護の仕事をやらせようとしているけど、そういう構図が海外では既に一般的だったのに驚き、暗澹たる気分になった。グローバル社会の負の側面である。

クッツェーの小説は南アフリカ時代が至高だと思っていたけれど、オーストラリアに移住してからもなかなか面白い。