海外文学読書録

書評と感想

ブライアン・デ・パルマ『カリートの道』(1993/米)

★★★★

1975年のニューヨーク。元麻薬王カリート・ブリガンデ(アル・パチーノ)は、弁護士デイヴ・クラインフェルド(ショーン・ペン)の尽力によって、30年の刑期のところを5年で出所する。カリートはヤクザ稼業から引退し、バハマでレンタカー店を開くことを夢見ていた。その資金集めのため、彼はデイヴが出資しているクラブで働く。やがてカリートは、デイヴの頼みで危険な仕事をすることに……。

原作はエドウィン・トレスの同名小説【Amazon】。

日本のヤクザ映画にもこういうのありそう。足抜けしたいのにできない。カタギを目指そうと努力するも、しがらみに足を引っ張られて泥沼にはまっていく。そして、最後に待っているのは破滅だ。こういうのって高倉健主演であるんじゃないかな? よく分からないけど。

『スカーフェイス』は成功と転落の物語だったけれど、本作はギャングの世界からいかにして抜けるかという話なので、両方観ると相乗効果があって面白い。僕はどちらかというと、『スカーフェイス』よりも本作のほうが好きだ。まともに生きたくてもそうは問屋が卸さない。カタギになるというささやかな夢も叶えられない。どんな人生も計画通りにはいかないわけで、本作には道を踏み外した者ならではの悲哀がある。

全体としては、「裏切り」で一本筋を通しているところが良かった。とにかくカリートは周囲から裏切られる。親友だと思っていたデイヴはカリートを検察に売って自分だけ助かろうとしたし、クラブの共同経営者はカリートが没落したと思い込んで金庫の金を着服しようとした。極めつけは、最後の最後に信頼していた用心棒が裏切るところで、これが命取りになるのだから悲惨だ。カリート本人は仁義を重んじる性格をしているので、この裏切りがなおさら心に響いてくる。

それにしても、デイヴ役のショーン・ペンが素晴らしい。本作にあって『スカーフェイス』にないのはショーン・ペンの存在だろう。やたらと目立つチリチリパーマがたまらないし、青二才の弁護士がうっかり殺しに手を染める、その素人っぽい感じを上手く演じている。シロウトさんは怖いもの知らずだから怖いんだ――プロのヤクザが観ていたらそうつぶやくに違いない。

駅を舞台にした終盤の追いかけっこも良かった。およそ追跡に向いてないであろう百貫デブの存在が笑える。そして、クライマックスはエスカレーターで寝そべりながらの銃撃戦。すごく見応えがあった。この監督はちゃんと見せ場を作るから偉いと思う。

マーティン・ブレスト『ミッドナイト・ラン』(1988/米)

★★★★

賞金稼ぎのジャック(ロバート・デ・ニーロ)が、会計士のジョナサン(チャールズ・グローディン)をニューヨークからロサンゼルスまで連行する仕事を請け負う。ジョナサンは麻薬王セラノ(デニス・ファリーナ)の金を横領し、慈善事業に寄付していた。難なくジョナサンを見つけたジャックだったが、予定が狂って陸路を旅することになり、FBIやギャング、ライバルの賞金稼ぎに追われる。

みんな大好きバディもの。80年代は映画の暗黒時代として語られがちだけど、こういう痛快な娯楽映画もちらほら作られているので、一概に悪いとは言えない。これより前に流行ったアメリカン・ニューシネマでは、同じバディものでも『俺たちに明日はない』【Amazon】や『真夜中のカーボーイ』【Amazon】といったほろ苦い映画が作られていた。ありていに言えばアンチ・ハッピーエンド。当時はハリウッド映画にとっての思春期だった。それが大人になって成熟して、本作みたいに吹っ切れた映画が流行るようになったのである。我々はとかく暗い映画を評価しがちで、そこには人生の真実があるだとか、深遠な哲学があるだとか、しみじみとした口ぶりで語ってしまう。その結果、ハッピーエンドの娯楽映画を低俗だと見下してしまう。僕も一時期はそういう病に冒されていた。アメリカン・ニューシネマの典型的な信奉者だった。それがいつしか気兼ねなく楽しい映画を消費できるようになったので、歳をとるのも悪くないと思った。

ヘリコプターの尾翼を拳銃で撃って爆発させるシーンや、ライバルの賞金稼ぎを出会うたびに殴るシーンなど、本作は名場面に事欠かない。

そんななか個人的に気に入っているのが、暗い貨物列車のなかでジャックとジョナサンが語り合うシーン。焚き火を前にしてジャックが時計の来歴を打ち明けるのだけど、ここでのやりとりで2人の関係が決定的に変わったことが感じられてとても良かった。それまで同床異夢だったのが、一変して打ち解ける。男同士の共感みたいなものが湧き上がる。こういうのってバディものの醍醐味ではなかろうか。暗闇のなか焚き火を囲んで……というシチュエーションは、古代からの物語の基本でもあるので、2人が打ち解けるシーンにぴったりだと思う。

FBIの黒人捜査官モーズリーがかなりいい味を出していた。演じているのはヤフェット・コットー。調べたら彼はなかなか興味深い人物だった。父親が王族の家系で、カメルーンのドゥアラの皇太子なのだという。さらに、両親がアフリカ系のユダヤ人であり、コット―自身も熱心なユダヤ教徒なのだとか。黒人のユダヤ教徒ってなかなか見ないので、これには軽く驚いた。

それにしても、本作はラストが素晴らしい。旅路を経て結ばれた男同士の友情。映画を観てこんなに清々しい気分になったのも久しぶりだ。やはりハッピーエンドも悪くない。

アンソニー・マン『グレン・ミラー物語』(1954/米)

★★★

質屋にトロンボーンを預けていたグレン・ミラージェームズ・スチュワート)が、自身の編曲した曲をベン・ポラックに気に入られて楽団入りする。ニューヨークで楽団から離れたグレンは、意中のヘレン(ジューン・アリスン)を呼び寄せ結婚するのだった。その後、「ムーンライト・セレナーデ」を作曲したグレンは、ヘレンの発案で自分の楽団を結成する。

実在の人物を題材にした伝記映画にして、ジャズを前面に出した音楽映画でもある。物語はグレン・ミラーのサクセスストーリーが主軸だけど、思ったよりもヘレンの役割が大きく、ちょっと小洒落たハリウッドの王道映画という感じだった。つまり、グレンというヒーローがいて、その傍らにヘレンというヒロインがいる。そういう古き良きテンプレートを踏襲している。個人的にはもっと伝記っぽいのを想像していたので、ちょっと拍子抜けしたかもしれない。

グレンとヘレンの二人三脚が見所だろう。ヘレンのやっていることは、日本風に言えば「内助の功」ってやつだ。演奏家として現状に満足しているグレンに対し、ヘレンは作曲の勉強をするよう勧めている。夢に向かって頑張ってほしいと叱咤している。かと思えば、グレンが自分の楽団を結成しようというとき、ヘレンはその資金をこっそり貯めていてどーんと提供している。ヘレン役のジューン・アリスンはハスキーボイスで、どこか田中真紀子を彷彿とさせる顔つきだ。そのせいか、終始やり手BBAという印象が強かった。

ルイ・アームストロングとベン・ポラックが本人役で出演し、楽器の演奏をしているところも見所だ。どちらも自然体で楽しそうに演奏しているところがいい。特にルイ・アームストロングは目を丸くして歌う姿がKONISHIKIにそっくりで、その曰く言い難い愛嬌はすこぶる魅力的だった。そりゃステージで人気になるよなあって感じ。やはりロックもクラシックもジャズも、音楽はライブ・パフォーマンスがすべてなのだ。レコードはその予習にすぎない。本作を観てその原則に気づかされた。

第二次世界大戦が勃発後、グレンは軍隊に入って慰問楽団を率いることになる。それで驚いたのが、いきなり大尉で任官しているところだった。おいおい、階級が高すぎね? 軍隊のことはよく分からないけど、任務と階級が釣り合ってないような……。それとも、楽団の指揮って僕が思うよりも遥かに重要な任務なのだろうか。ともあれ、軍隊でも相変わらずジャズを演奏していて、慰問にもお国柄が出るんだなあと感動した。

マーロン・ジェイムズ『七つの殺人に関する簡潔な記録』(2014)

★★★★

1976年。ジャマイカでは社会主義政党の人民国家党(PNP)と、保守政党のジャマイカ労働党(JLP)が対立していた。両者はギャングを支援して内戦に近いテロの応酬をしており、CIAも監視の目を光らせている。そんななか、ジャマイカ出身の世界的スーパースターである「歌手」が、PNPの政治キャンペーンに参加した。12月3日、「歌手」は何者かに銃撃される。

銃が家にやってきて一緒に暮らすようになるってのはすごいことなんだ。一緒に暮らしてる人間たちが最初に気づく。オレが一緒に暮らしてた女は話し方が変わった。ズボンに新しい膨らみがあるのに気づいて、誰もがそれまでとちが話し方をするようになる。いや、大事なのはそれじゃない。銃が家の中に住みつくようになると、銃が最後の決定権をもつことになる、銃の持ち主でもなくて。銃が男と女の会話に入りこんでくる、深刻な話のときだけじゃなく、ちょっとした話にもだ。(p.86)

ブッカー賞受賞作。

2段組で700頁もあって手に取る者を威圧するような本だけど、翻訳がこなれていてとても読みやすかった。原文はパトワというカリブ海で使われているクレオール語が多用されているらしい。だから、英語圏の読者は相当読みづらかったはず。それを訳者の旦敬介は読みやすいように訳している。本作を日本語で読める幸せを噛み締めた。

あらすじに書いた「歌手」とはレゲエミュージシャンのボブ・マーリーのことで、作中では一貫して「歌手」と呼ばれている。彼の名前が直接出たのは一箇所だけ。しかも、それは音楽雑誌の記事という体裁だった。だから、会話文や地の文といった通常の語りの中では一貫して「歌手」で通っている。出版社は気を使ってカバーの紹介文にボブ・マーリーと書いてくれたけど、これがなかったら途方に暮れたかもしれない。ジャマイカについては何も知らないので。それに加え、冒頭には「配役」と冠された登場人物一覧もついている。これには大いに助けられた。

本作は主にジャマイカの裏社会に関わる複数の人物を語り手にしている(中にはカタギの人もいる)。興味深いのは、そんな裏社会におけるボブ・マーリーの位置づけだろう。彼は半ばアンタッチャブルな存在になっていて、敵対するどのギャングも手を出したりしない。コペンハーゲン・シティでもエイト・レインズでも、さらにはアップタウンでもダウンタウンでも、ボブ・マーリーアンタッチャブルだ。たとえるなら、彼は聖者のような位置づけなのかもしれない。ギャング同士は対立していても、彼の家では暴力に及ばない。そういう暗黙のルールができている。彼の存在が、裏社会において奇妙な均衡をもたらしている。

その均衡が1976年12月3日の銃撃事件によって破れ、事件の余波が、時間的にはボブ・マーリーの死後まで、空間的にはニューヨークにまで及ぶのが本作の見所だろう。ギャングのえげつない暴力がそこかしこに出てきて、たとえば、投獄中に警官に暴行されたギャングのボスが、出所後にその警官を捕まえて射殺したり、あるいは銃撃事件の下手人と思しき人物を捕まえてこれまた無残に殺害したりしている。この世界ではとにかく銃がものを言う。銃を突きつけている人間に生殺与奪の権があり、どんなギャングも銃を突きつけられたらあらゆる決定権を失うのだ。銃を媒介にしたこの刹那的な力関係が圧倒的で、我々の世界が何によって支配されているのか、その根源的なメカニズムを垣間見せる。

舞台がアメリカに移ってからはどうなることかと思ったけど、ちゃんとタイトルを回収したうえ、銃撃事件の問題に収束したので、読後感はそれなりに満足のいくものだった。本作は裏社会の複雑な動きを多様な語りで浮き彫りにしているため、たとえばジェイムズ・エルロイが好きな人ははまると思う。また、日本人にとって馴染みの薄いジャマイカを題材にしているところもポイントが高い。世界文学を読む醍醐味が味わえる。

テリー・ギリアム『未来世紀ブラジル』(1985/英=米)

★★★★

近未来。情報省がテロの容疑者タトル(ロバート・デ・ニーロ)と間違えて無関係のバトルを連行していった。それを上の部屋から見ていたジル(キム・グライスト)が抗議する。一方、情報省の職員サム(ジョナサン・プライス)は、この件について調査して誤認逮捕と確認。目撃者のジルが夢の中に出てくるヒロインに似ていたため、彼女を助けるべく奔走する。

『一九八四年』【Amazon】を彷彿とさせるディストピアSF。実は予備知識なしで観たので、てっきり『未来の国ブラジル』【Amazon】の映像化かと思っていたら、全然違っていて驚いた。

ケレン味の強い美術が特徴で、やたらとダクトが出てくるところや紙が乱舞するところなどが印象に残る。それと、夢の中に登場する敵が日本の鎧武者なのもインパクトがでかい。個人的に気に入っているのが端末機で、タイプライターに薄型モニターがついているそのミスマッチぶりが面白かった。全体としては、80年代に『一九八四年』をやるとこういう世界観になるのだなあ、という感じ。今見ると微妙に古臭くてレトロな味わいがある*1。これが世紀末になると『マトリックス』【Amazon】になるわけだ。スチームパンクからサイバーパンクへ。ディストピアSFも時代によってアップデートされていく。

ストーリーは終盤まで退屈極まりない。主人公サムの神経症的な振る舞いと相俟って、これは駄作じゃないかと決めつけていた。サムが極度なロマンチストなのもしんどい。というのも、初対面のジルに対して「夢で君に会い恋をした」と言い放つのだ。そして夢の内容も、翼の生えた騎士が囚われの美女を救うというお寒いものだし……。しかし、ディストピアSFの主人公としては、これくらい純粋なほうがふさわしいのだろう。その純粋さゆえに危機に飛び込んでいき、八方塞がりの状況に翻弄される。彼はあくまで普通の公務員であり、暴力に秀でていない。アクション映画のヒーローのような活躍もできず、ただただ逃げ回っている。

退屈だと思いつつも高評価なのはオチが強烈だったからで、この救いのなさは『一九八四年』と並ぶくらいだった。自由になったかと思いきや、そうは問屋が卸さないって感じの絶望を見せてくれる。どこまでが夢でどこからが現実なのか、そういう曖昧な展開を織り込みつつ、最後にぶすっとナイフで刺してくる。その鋭さに感銘を受けた。

*1:たとえば、現代人が『スター・ウォーズ』【Amazon】を見るような感覚に近い。