海外文学読書録

書評と感想

陳浩基『ディオゲネス変奏曲』(2019)

★★★

短編集。「藍を見つめる藍」、「サンタクロース殺し」、「頭頂」、「時は金なり」、「習作 一」、「作家デビュー殺人事件」、「沈黙は必要だ」、「今年の大晦日は、ひときわ寒かった」、「カーラ星第九号事件」、「いとしのエリー」、「習作 二」、「珈琲と煙草」、「姉妹」、「悪魔団殺(怪)人事件」、「霊視」、「習作 三」、「見えないX」の17編。

「おまえたちは……時間を売って金にしたことはないのか? 美児が病気になったときだとか、とても辛かっただろう? 時間を縮めようとは思わなかったのか」

「人生は辛いときがあるから、楽しみもあるんだろ」(p.97)

通常のミステリだけではなく、SFやカフカ的小説もあってバラエティ豊かだった。

以下、各短編について。

「藍を見つめる藍」。2008年。アラサー男性の藍宥唯は、2年前からある女性のブログを読んで、諸々の記述から彼女の個人情報を特定していた。彼は殺人の準備をして女性の住処に向かう。犯罪小説といえば犯罪小説なのだけど、これはなかなか捻りが効いている。用意周到なわりに女性の歯ブラシを舐めるところが変態チックで、これがある意味ではミスディレクションのひとつになっている。作中に出てくるアングラ掲示板のくだりを読んで、こういうのは世界中どこにでもあるのだなと感心した。

「サンタクロース殺し」。ホームレスの一人がサンタクロース殺しの話をする。日本では『行け!稲中卓球部』【Amazon】にサンタ狩りというネタがあって、その精神が陰キャたちに代々受け継がれていたと思う。つまり、クリスマスをカップルで祝うことに対するアンチテーゼ。で、本作はベタな幕引きだったけれど、しかしクリスマス・ストーリーはこうでなくちゃいけないと思う。陳腐な様式美を守ることに意味があるのだ。ところで、サンタクロースは中国語で「聖誕老人」と表記するらしい……。

「頭頂」。朝起きて鏡を見ると、「僕」の頭の上に鳥の爪みたいな異物が乗っかっていた。手で触れようとしてもすり抜けてしまう。そして、同僚にはこれが見えないらしい。これは短いながらも示唆に富んだ話で、正常と異常を区別するものは何かというのを考えさせる。正常であるために、見て見ぬふりをするのも答えのひとつ。

「時は金なり」。大学生の馬立文が、金策のために〈時間交易中心〉で自分の時間を売る。それで得た金で、意中の女性にブランドもののバッグをプレゼントするが……。僕も辛い時間はなるべく売り払いたいけれど、そういう時間はまとまって存在してないので、1ヶ月や1年単位で売るなんてまず無理だ。人生って1日のなかに辛い時間と楽しい時間が混在しているから。むしろ金を払って楽しい時間を引き伸ばしたほうがいい。立文みたいに売りまくるのは虚しいだけだ。

「習作 一」。わずか2頁の超短編。殺人を描くのはミステリ作家のサガかな。

「作家デビュー殺人事件」。ミステリ作家志望の青年が、編集者から実際に人を殺すよう勧められる。既存の売れ子作家たちは、殺人経験者だから魂の入った作品を書けていた。青年は密室殺人を実行する。これは密室殺人のトリックと解決が読ませるし、外枠に皮肉な仕掛けがあって、一粒で二度おいしい作品になっている。今は黄金時代のような牧歌的な殺人は不可能だと痛感。警察の科学捜査が恐ろしく進んでいる。

「沈黙は必要だ」。看守にこき使われている囚人たち。そのうちの1人が、屋外での作業中に事故に遭い、看守に射殺される。決めゼリフでビシッと締めているけど、僕は下手人のその後が心配だ。こんなことをしたら死刑にされるのでは……。

「今年の大晦日は、ひときわ寒かった」。公園で大晦日のカウントダウンを待つ「僕」と恩。2人はラブラブのようだったが……。そういえば、現実ではこの手の猟奇殺人ってめっきり見なくなった。酒鬼薔薇聖斗の事件が1997年である。世界に目を向ければ何かしらあるのだろうか?

「カーラ星第九号事件」。カーラ星に降り立った上陸艇が墜落し、艦長と隊員が死亡する。ところが、記録によると艦長が死に際に意味深な言葉を遺していた。探偵デュパパンが謎を解く。まさか「後期クイーン問題」が香港にまで伝わっているとは思わなかった。あれは日本におけるガラパゴス的議論だと思っていた。僕は『毒入りチョコレート事件』【Amazon】を読んだとき、「探偵の推理なんて後からどうにでもなる」と悟ったので、実はそんなに興味なかったのだ。後期クイーン問題、とても懐かしかった。

いとしのエリー」。居間で来客をもてなす「わたし」。「わたし」と妻のエリーは表向きは仲睦まじかったが、裏ではいがみ合っていた。2階の部屋にはベッドの上にエリーの死体が横たわっている……。死体の処理って案外難しいから、1人で隠蔽するのは大変そう。ヤクザならともかく、一般人だと尚更。こういうのを読むと、後日談を知りたくなる。そして、本作の叙述トリックは良かった。

「習作 二」。わずか2頁の超短編

「珈琲と煙草」。ここ3日間の記憶を失っている男が、コーヒーを買いにコンビニへ。ところが、冷蔵庫にコーヒーはなく、代わりに煙草が入っていた。さらに、行きつけのカフェへ行くと、そこでも煙草が売られている。こういうあべこべな世界大好き。何せコーヒーが違法で、コカインが合法になっているのだから。主流文学だと不条理は不条理のまま終わるけど、著者はミステリ作家なので一応の説明をつけている。この辺は好みが分かれそう。

「姉妹」。雪の家に駆けつけた「おれ」は、雪の姉である心の他殺死体を見つける。さらに、凶器のナイフもあった。「おれ」は死体を隠蔽しようとする。最初の状況とは別の状況が裏に隠れているのがいい。それにしても、防犯カメラだらけの現代社会だと完全犯罪も難しいな。現実の犯罪って、たいていは街頭にある防犯カメラでバレるし。

「悪魔団殺(怪)人事件」。悪魔団の本拠地でジャガイモ怪人の死体が発見される。殺したのは誰か? ヒーローものにおける正義と悪の関係って、探偵小説における探偵と犯人の関係に似ていて、これは物語の構造的な問題だと思った。つまり、悪がいなければヒーローは活躍できないし、犯人がいなければ探偵は活躍できない。ところで、著者があとがきで『外天楼』【Amazon】を絶賛しているのが気になる。

「霊視」。仕事が終わって一服している男が、浮浪者みたいな老人と話をする。老人は霊媒だった。これはピリッとした短編で好印象だった。仮に殺人事件が起きたとして、被害者の霊が見えるのなら犯人を当てるのも容易……なはずだけど、そうもいかないパターンもある。人間って複雑だ。さらに、物語の締め方も気が利いていた。

「習作 三」。わずか2頁の超短編

「見えないX」。大学の授業で推理ゲームをする。内容は、教室に隠れているXを見つけ出すというもの。これは人狼っぽいかも。実際にこういう授業があったら楽しそうだ。ところで、名探偵コナン金田一少年に言及するのは分かるけど、倖田來未やmisonoといった芸能人まで話題にのぼるのには驚いた。というか、『ロンドンハーツ』って香港でも放送してたのか。本作は日本のサブカルチャーがてんこ盛りだった。