海外文学読書録

書評と感想

ジュリー・オオツカ『あのころ、天皇は神だった』(2002)

★★★★

1942年春。アメリカで日系人に対する強制退去命令が出される。バークレーに住む一家は、母と娘と息子の3人暮らし、父はFBIによって逮捕・収監されていた。やがて一家は列車でユタ州に向かい、日系人用の収容所で暮らすことになる。

夢のなかには、いつも美しい木のドアがあった。その美しい木のドアはとても小さく――枕ほどの大きさ、というか、百科事典くらいというか。小さいけれど美しいそのドアのむこうには、二番目のドアがあり、二番目のドアのむこうには、天皇陛下の写真があるが、それは誰も見ることを許されなかった。

なぜなら、天皇陛下は神聖だから。神なのだ。

まともに見てはならない。(pp.89-90)

日系人収容所という題材も興味深いのだけど、それと同じくらい表現の手法も興味深かった。というのも、本作は物語の焦点となる一家に対して固有名詞を一切使わず、終始「女」や「女の子」といった代名詞で呼んでいる。彼女らが何という名前なのかは最後まで分からないままだ。これは本作が特定個人の物語ではなく、もっと広いみんなの物語、誰でも同じ立場になり得る普遍的な物語、そのようなことを匿名にすることで表わしているのだろう。この手法は後に『屋根裏の仏さま』で先鋭化される。デビュー作から既に問題意識があったのに驚いた。

一家の父は既に収監されて離ればなれ、さらに残された自分たちも砂漠にある収容所に入れられる。そんな理不尽な状況だけど、物語に悲壮感はなく、淡々と出来事なり記憶なりが綴られている。面白いのは、ある年配の女性が「ここに来られて幸せ。マウント・エデンよりましだよ。料理もしない、仕事もしない、洗濯だけしてりゃいいんだから」と述べているところだ。彼女は25年間一度も休暇を取らずにイチゴ畑で働いていたそうで、日系移民の生活の過酷さが透けて見える。また、収容所の外では映画館や洋品店などで「ジャップはお断り」、ある人物が「フェンスのこっち側のほうが楽に暮らせる」とも言っていて、僕が収容所に抱いていたイメージが覆された。現代日本でも刑務所が障害者やホームレスの福祉になっている例があるから、当時の収容所にもそういった側面があったのだろう。率直に言えば、こういう人種差別に根ざした収容所なんてムカつくことこの上ないのだけど、しかし本作はそれだけでは収まらない意外な面を明らかにしていて、物事を単純に捉えることはできないと痛感した。

戦後は収容所から解放されて帰宅、いつもの日常に戻れるかと思いきや、日系人というだけ就職を断られ、相も変わらず差別が続いている。結局のところ、一度状況が変わってしまったら、もとに戻すのは困難なのだろう。収容所よりも娑婆のほうが生きづらいのが何とも皮肉で、これは人間が集団生活をするうえでの避け難い宿痾なのだと思う。

最後の「告白」と題された短い章は迫力があって、それまでの鬱憤を一気にぶちまけたかのような激しさが鮮烈だった。散文詩と見まごうこの終わり方はすごい。この衝撃を味わうためだけに本作を読む価値はある。正直、読了直後は評価を星5にするかどうか迷ったほどだ。