海外文学読書録

書評と感想

ウィリアム・シェイクスピア『ヴェローナの二紳士』(1594)

★★★

ヴェローナの青年紳士ヴァレンタインは、恋など一瞬の快楽だとケチをつけていた。ところが、ミラノに旅行すると大公の娘シルヴィアと相思相愛の仲になり、駆け落ちの算段までつけてしまう。一方、ヴァレンタインの友人プローティアスはジュリアのことを愛していたが、ミラノでシルヴィアに会った途端、彼女に一目惚れする。ヴァレンタインはプローティアスに裏切られてミラノから追放されるのだった。その後、ジュリアが小姓に変装してミラノにやってくる。

プローティアス 恋をしていて友を大事にする男がいますか?

シルヴィア プローティアス以外の男はみな大事にします。

プローティアス ええい、心に触れるやさしい言葉を尽くしても

あなたの態度を和らげることができないなら、

軍人らしく剣の先を突きつけて求愛し、

愛の本質に逆らった愛し方をしよう――力で犯す。

シルヴィア ああ、神様!

プローティアス 力ずくで俺の欲望に屈服させてやる。(p.160)

これはけっこうな問題作で、作中にもそういう感じの注釈がついていた。何が問題かというと、女性をもの扱いしているところだ。「シルヴィアは俺のもの」とか、「シルヴィアに対する俺の権利はすべて譲る」とか、男性が女性をまるで所有物のように扱っている。思えば、『じゃじゃ馬馴らし』【Amazon】も女性の扱いに問題があって、初めて読んだときは面食らったのだった。これはたぶん時代の制約なのだろう。女性に人権がなかった時代。男性が女性を支配していた時代。だから、いちいち目くじらを立てるのはお門違いなのだろう。しかし、現代に生きる僕としては、読んでいてショックを受けたのは確かだ。

ショックといえば、プローティアスがシルヴィアをレイプしようとしたところもショッキングだった。これは安心と安全のシェイクスピア劇じゃなかったのかよ! みたいな。実はプローティアスの人物像もなかなかぶっ飛んでいて、ジュリアという恋人がいるにもかかわらず、シルヴィアに横恋慕して、親友であるヴァレンタインを陥れている。プローティアスは一応、「ジュリアを捨てれば誓い破りになる、/美しいシルヴィアを愛せば誓い破りになる、/友を裏切ればもっと大きな誓い破りになる。」と葛藤している様子を見せているのだけど、それにしてもやっていることがえげつなくて、恋とは人をここまで狂わせるのかと恐れおののいた。といってもまあ、この部分は演劇用に誇張されているというか、キャラとしてデフォルメされているような感じもするので、あまり真に受けてはいけないのかもしれない。あくまでストーリーに奉仕するためのキャラクター。いずれにせよ、プローティアスは注目に値する人物像になっている。

シェイクスピア劇の面白いところは、脇役同士のやりとりがアクセントになっているところだ。本作の場合、スピード(ヴァレンタインの召使い)とラーンス(プローティアスの召使い)のやりとりがそれに相当する。思うに、こういう些細な部分に劇作家の力量が表れるのではないか。本筋ではない箸休め的な部分が隠れた見所なのだ。そんなわけで、本作も一定のクオリティを保っていて楽しめた。