海外文学読書録

書評と感想

ギ・ド・モーパッサン『女の一生』(1883)

★★★★

男爵の一人娘ジャンヌが、17歳になって修道院の寄宿舎から出てくる。間もなく彼女は子爵のジュリアンと出会い、彼と結婚するのだった。コルシカへのハネムーンまでは比較的良好な関係だったが、その後はジュリアンの吝嗇ぶりに拍車がかかり、愛情も薄れていく。やがてジュリアンが女中のロザリと寝ていることが発覚し……。

「神様はどこにいるの、叔母さん?」

するとリゾン叔母は空を指さして言った。

「あの高い所にですよ。プーレ、でもだれにもそんなことをお話しでないよ」

リゾン叔母は男爵を恐れていたのだった。

ところがある日のこと、プーレが彼女に堂々と宣言した。

「神様はどこにもいらっしゃるんだよ。だが、教会の中にはいらっしゃらないんだよ」(pp.556-557)

新潮社の世界文学全集(新庄嘉章訳)で読んだ。引用もそこから。

少女から老境に至るまでの一人の女の人生を追っている。これがまた嫌な感じで、イケメンの夫に浮気されるわ、可愛い子供はろくでなしに育つわ、最初から最後まで踏んだり蹴ったりである。僕だったらこういう人生は絶対に送りたくないけど、それを他者の経験として追体験できるのがフィクションの醍醐味だろう。やっぱり他人の人生、とりわけ不幸な人生は面白いのである。特に最近ではTwitterで自己開示する人が多く、僕はそういう人たちのツイートを見るのが好きだ。自分は日本社会から迫害されている迫害されているとボケ老人のように繰り返す女性作家。毎日のようにブロン【Amazon】をODしては発作的に狂った言動をする薬物依存症の青年。そういう負け犬たちの人生を反面教師にして、僕は弱肉強食の世界を生きている。

本作を読んで思ったのは、人生に期待してはいけないということだ。ジャンヌは貴族の生まれで比較的恵まれた境遇なのだけど、それでも結婚によってケチがついて不幸な日々を送ることになる。その後、ある事件で夫が死んで不幸の源から解放されたと思いきや、今度は可愛い息子が夫と同じくらいのろくでなしに育ってジャンヌを失望させることになる。一般的に人は配偶者に対してはある程度諦めがつくけれど、子供にはまっとうに育ってほしいと期待してしまうわけで、それが裏切られたときのダメージは大きい。もし自分の子供が犯罪者になったらどうしよう? あるいはどこの馬の骨とも分からぬ男と駆け落ちして行方不明になったらどうしよう? いくら手塩にかけて育てても、そうなる可能性は捨てきれない。だから我々は人生に期待せず、たとえ最悪の状況になってもたくましく生きていく。そういう覚悟が必要なのだ。

本作には前述のような知見が詰まっているので、できれば学生のうちに読んでおいたほうがいいと思う。僕も学生時代は受験戦争に勝ち抜いて人生楽勝だと舐めていたから、自分が思わぬところで躓くとはまったく想定していなかった。人生には浮き沈みがあるなんて考えもしなかった。ただ、総じて今の状況には満足しているので、問題は肉体が衰えていくこれから、日本社会が沈没していくこれからということになる。仕事にせよ家庭にせよ、将来何が起きるか分からない。幸せな人生を送ろうなんて考えず、与えられた条件のなかで図太く生きる。本作を読んでそう決意したのだった。

モーパッサンは短編の名手だけあって、本作はラスト一文が素晴らしい。これを味わうためだけに読む価値がある。