海外文学読書録

書評と感想

ギュスターヴ・フローベール『ボヴァリー夫人』(1857)

★★★★

開業医のシャルル・ボヴァリーが、年増の妻を病気で亡くす。彼は農家の一人娘エマを後妻に迎えるのだった。エマは物語のような結婚生活を夢見ていたが、やがてシャルルの凡庸さに失望する。彼女は書記の青年レオンに恋した後、遊び人のロドルフと不倫する。エマはロドルフに駆け落ちを迫るが……。

結婚するまでエマは恋をしているように思っていた。しかしその恋からくるはずの幸福がこないので、あたしはまちがったんだ、と考えた。至福とか情熱とか陶酔など、本で読んであんなに美しく思われた言葉は世間では正確にどんな意味でいっているのか、エマはそれを知ろうとつとめた。(pp.36-37)

新潮社の世界文学全集(生島遼一訳)で読んだ。引用もそこから。

不倫を題材にした小説はたくさんあるが、本作はそのなかでも1位2位を争う知名度だろう。対抗はもちろん『アンナ・カレーニナ』【Amazon】だ。両作とも不倫したヒロインが絶望の果てに自殺するという筋だが、本作の場合は気持ちのすれ違い以上に借金の影響が大きく、エマが金策に奔走する様子は切迫感があって読み応え抜群である。ロマン主義が凡庸な現実に敗北するというのが本作の主題のようで、我々の人生は恋愛小説のようにはキラキラしていないのだと残酷なまでに表している。全体的にトルストイみたいな説教臭さはなく、敗れゆく者を冷徹に突き放しているところがいい。エマの死後、彼女を追うように不幸な最後を迎えるシャルルと、それとは逆に出世していくオメーを対比するところがまた何とも言えず、善人だからといって報われるわけではない、人生とはままならないものだという思いを強くさせる。

物語に憧れて不倫に走ったエマは、現代で言えば恋愛至上主義に囚われた人になるので、これはある意味では今の時代と繋がった出来事として読める。いつだってロマン主義は人生を狂わせるのだ。とはいえ、昔と違って今は不倫のハードルが下がっているため、理想を追い求めてもそうそう酷い目に遭ったりはしない。せいぜい離婚されて慰謝料を取られるくらいだろう。この記事を書いている現在、日本ではパパ活やママ活といった割り切った関係が流行しており、不倫の新時代を迎えている。欲望の赴くまま生きることが可能になっている。そうなると、逆にエマみたいな人生が劇的で素晴らしいものに見えてしまい、彼女の悲劇が新たなロマン主義の地位に君臨することになる。これは随分と倒錯しているが、時代によって価値観が変転することを示していて興味深い。不倫して破滅的な人生を突き進む。それこそが現代の聖典にふさわしいのだ。

技術的には自由間接話法を用いた心理描写が斬新らしい。その辺の妙味はいまいちよく分からなかった。ただ、これは翻訳の影響が大きく、たとえば芳川泰久による新訳【Amazon】だと、原文を忠実に訳してその特色を引き出しているという。ともあれ、僕が気に入ったのは共進会でお偉いさんの演説と平行してエマとロドルフのやりとりを進行させる場面で、現代文学ばりの対位法的手法に感心したのだった。この部分は一読の価値がある。

というわけで、本作は不倫を題材にした文学作品を読みたい人にお勧めだ。「不倫は文化だ」の時代に生きる現代人なら、昔の人とは違った読み方ができるだろう。