海外文学読書録

書評と感想

ミロスラフ・ペンコフ『西欧の東』(2011)

★★★

短編集。「マケドニア」、「西欧の東」、「レーニン買います」、「手紙」、「ユキとの写真」、「十字架泥棒」、「夜の地平線」、「デヴシルメ」の8編。

女性が六十年も大事にとっておくような手紙を書けるなんて、私には想像もできない。あの男ではなく、私だったならよかったのだが。人生の終わりよりも始まりに近かったころ、ノラが出会ったのが。これがありのままの事実なのだーー私たちの人生は終わりかけている。私はまだ終わりたくない。いつまでも生きていたい。若者の体と、若者の心に生まれ変わりたい。ただし、自分の心と体で生まれ変わるのはごめんだ。私の記憶などない人間としてやり直したい。その、もうひとりの男になりたい。(p.10)

8編中7編がブルガリアを舞台にしている。ブルガリアと言ったら、ストイチコフ琴欧洲と碧山くらいしか知らなかったので、本書はとても新鮮だった。著者はアメリカの大学院で創作を学んだだけあって、どの短編も驚くほど洗練されている。翻訳も読みやすいので、万人向けの短編集と言えるだろう。

お気に入りは、「マケドニア」、「西欧の東」、「レーニン買います」の3編。

以下、各短編について。

マケドニア」。脳梗塞で倒れた妻とそれに付き添う71歳の夫。夫が妻の持ち物から恋文を見つける。それは夫と出会う前、60年前に死んだ男からのものだった。手紙にはオスマン・トルコとそれに反抗する義勇軍の物語が綴られている。僕はブルガリアの歴史についてまったく無知だったけれど、こういうのは普遍性があって心を揺さぶられる。本作はブルガリアの歴史と家族の物語が絡み合うところが良かった。色々困難はあるにしても、歳をとったらやはり孫の顔を見たいと思う。家族同士のやりとりが温かい。

「西欧の東」。一つの村が川を挟んでブルガリアセルビアに分割される。両岸の人たちは5年に1度集まって飲み食いする。そんななか、ブルガリアに住むハナという少年と、セルビアに住むヴェラという少女のロマンスが進行する。最近まで世界が西側と東側に分かれていたのをすっかり忘れていた。こうやって勝手に国境線を引かれてしまうのは悲しいことだけど、住民たちはそれを受け入れて生活している。何と言っても、大人になってハナがヴェラに会いに行ったときのせつなさが堪らない。世の中には個人の力ではどうにもならないことが多すぎる。

レーニン買います」。ブルガリアからアメリカに留学した「僕」と、共産主義の理想を信じている祖父。2人が電話で話をする。祖父の人物像がやや戯画的に見えるのは、孫の「僕」が語り手をしているからだろうか。それにしても、祖父とこうやって打ち解けた会話をしているのが羨ましい。僕は生まれる前に父方の祖父を亡くし、中学生のときに母方の祖父を亡くしたから、あまり深い部分を知らないのだ。ともあれ、2人のやりとりが電話というのがアナクロでいい。今だったらLINEでコミュニケートすることになって、また違った感触になってしまう。

「手紙」。おばあちゃんと2人で暮らしている少女マリアは、近所に住む金持ちから金品を盗んでいた。マリアには双子の妹マグダがおり、彼女は孤児院で暮らしている。ある日、マグダの妊娠が発覚する……。21世紀の西洋でこんな暮らしをしている人がいるとは思わなかった。同じEUでも、イギリスとブルガリアでは生活レベルが違う。マリアが1000ドルを手に入れるくだりはご都合主義に思えたけど、それを持ったときの「遠くへ行ける」という心理はなかなかせつないものがある。

「ユキとの写真」。ブルガリア出身の「ぼく」は、シカゴの空港で日本人のユキと出会う。結婚することになった2人は、ユキの不妊治療のためにブルガリアへ。車を運転していると、目の前には自転車に乗ったジプシーの男の子が……。直接は撥ねたり轢いたりしなかったのだけど、男の子を転倒させてしまった。彼が死んだのは親に打たれたせいではなく、おそらくこの件が原因なわけで、そう考えるとかなりきつい状況だ。ブルガリアアメリカ、日本、ジプシー。この短編は様々なレベルでのカルチャーギャップが見所だろう。

「十字架泥棒」。並外れた記憶力を持つ少年ラドは、<驚異の少年ラド>として有名になる。父親に連れられてソフィアに移住したラドは、天才専用の学校に入るべく入試を受ける。ところが、不合格になるのだった。その後、15歳になったラドは親友のゴゴと教会の十字架を盗みにいく。政権崩壊による混乱した様子と、少年たちの荒れた生活がいかにも東欧という感じだった。「ラド、そりゃ円周率を五十桁まで言えるのは大したものだ。でも、それは計算機でできるわけだし、今はほら、インターネットの時代だしな」というセリフが心に残る。あと、聖人のミイラだと思ってキスしたら瀕死の老人だったというくだりもツボ。

「夜の地平線」。バグパイプ作りの父親と娘のケマル。2人はトルコ人イスラム教徒だった。ある時、共産党の方針でブルガリア風に改名させられることになる。ケマルが何で男の名前をつけられたのかと思ったら、なるほどそういう理由があったのか。共産主義ってどの国も抑圧的でホント最悪の政治形態だよな。ブルガリアも例外ではない。

「デヴシルメ」。妻子と共にブルガリアからアメリカに移住したミハイルだったが、妻を医者に寝取られて現在は独身でいる。その彼が娘に祖国の物語をする。この短編だけアメリカが舞台。最初、友人がマイケル、マイケルと言ってたから何のことかと思ったら、これはミハイルの英語読みか。そして、本作を読むまでブルガリアオスマン帝国支配下にあったことをすっかり忘れていた。