海外文学読書録

書評と感想

ギョーム・アポリネール『一万一千本の鞭』(1907)

★★★★

ブカレスト。大金持ちの家系のモニイ・ヴィベスクは、友人であるセルビアの副領事にオカマを掘られた後、パリに移住する。そこで女2人とスカトロプレイをするも、直後に2人組の強盗に押し入られる。そこでまた乱交が始まり、興奮した女が1人の強盗のペニスを噛みちぎる。その強盗は相棒に止めを刺されて死亡、スキャンダルになる。やがて生き残った強盗と再会したモニイは、彼を子分にしてオリエント超特急に乗り込む。

マドモワゼル、あなたに気がついたとたんに、わたしは恋の虜になって、わたしの生殖器があなたのこの上ない美しさに向かって突っぱるような感じがしたんですよ。それに、アラック酒を一杯飲んだよりはるかに自分の体が熱くなる思いがするんです」

「どなたの家で? どなたのところでお会いしたかしら?」

「わたしは、自分の財産も愛情も、あなたの足許に投げ出しますよ。もしわたしがあなたをベッドにお連れしたら、続けて二十回も情熱を証明して見せられるんですがねえ。もしこれが嘘だったら、一万一千人の処女の罰を受け、いや、一万一千本の鞭でたたかれてもかまいませんよ!」(p.30)

ポルノ小説というよりは、エログロ要素の強めな悪漢小説という感じだった。主人公のモニイが、ブカレストからパリを経て、最後は日露戦争下の旅順にたどり着く。その間にスカトロやらSMやら、さらに老婆を犯すやら乳飲み子を犯すやら*1、つまり変態性欲がてんこ盛りでお腹いっぱいになった。この部分で印象に残っているのは、オリエント超特急でモニイと子分が2人の女とセックスする場面。そこで片方の女が不慮の事故で死んでしまうのだけど、モニイの子分がその女の内臓を引っ張り出して自分の体に巻きつけているのは壮観だった。さらにその後、モニイがもう1人の女をナイフで刺して瀕死になったところを犯し、断末魔の痙攣を味わう場面もあって、こいつらようやるわと思った。ポルノ小説の目的って自慰のオカズにすることにあると思うけど、さすがにこれで抜ける人はいないだろう(抜ける人がいたら怖い)。本作は露出狂とでも言うべき悪徳の数々をただただ眺めるような趣向になっていて、戦場ポルノならぬ悪徳ポルノと言えるかもしれない。

作中では躊躇いなく人を殺したり、男女問わず性的に蹂躙したりもするけれど、それらも含めてのブラックユーモアなのだろう。今考えると、けっこう突っ込みどころが多かったような気がする。本作で一番笑えたのがスカトロの場面で、モニイが女に対して「わたしの手の上にうんこをしてくれ、手の中にうんこをしてくれ!」と大声で言ったのが可笑しかった。

ちなみに、女の尻からうんこが出る場面は以下の通りである。

軟らかいソーセージが、あたかも船のケーブルのように繰り出してきた。だんだんと間隔の開いてゆく美しい尻のあいだで、優雅にブランラブランと宙に揺れていた。まもなくいちだんと大きく揺れて、尻はさらに大きくふくれ上がり、ちょっと体を動かすと、うんこは、それを受けとめようとして伸ばしていたモニイの手の中に、ホカホカと暖かいまま、湯気をたててポツンと落ちた。(p.50)

僕はこんなに笑える排便シーンを今まで読んだことがない。名文と言っていいだろう。

終盤では日露戦争下の旅順が舞台になるのだけど、ここで出てきた日本人娼婦のキリエムがなかなかの存在感を発揮していた。何より日本文化を交えた身の上話がいい。自分を連れ去った武器商人のことを「まるでカマクラのダイブー(大仏)のような美男」と評したのはギャグにしか思えなかった。美男を形容するのに鎌倉の大仏はないだろ、鎌倉の大仏は。とはいえ、与謝野晶子が「鎌倉や/御仏なれど/釈迦牟尼は/美男におわす/夏木立かな」と詠んでいるので、昔の人はあれを美男だと思っていたのかもしれない。この辺の感覚は自分にはよく分からないかな。

というわけで、変態性欲の饗宴を味わった。

*1:この2つはモニイがやるのではなく、他の人がやる。