海外文学読書録

書評と感想

アフィニティ・コナー『パールとスターシャ』(2016)

★★★

1944年。ユダヤ人の12歳の双子パールとスターシャが、家族と共にアウシュヴィッツ強制収容所に送られる。2人は家族から引き離され、医師のヨーゼフ・メンゲレが君臨する〈動物園〉と呼ばれる施設に入れられる。そこには多胎児や小人、アルビノといった者たちが集められ、メンゲレによって残酷な人体実験が行われていた。

アウシュヴィッツはわたしたちを閉じこめるために建てられた。ビルケナウはわたしたちを殺すために建てられた。結びついた邪悪は、ほんの数キロしか離れていなかった。この〈動物園〉がなんのために作られたのか、当時のわたしにはわからなかった――ただ、パールとわたしはもう二度と閉じこめられたりしない。(p.20)

これはもうあらすじからして読むのはきつそうだと覚悟していたけれど、確かに読みながら感情移入してしまってけっこうなダメージがあった。人体実験なんて勘弁してくださいよって感じ。人間を生きたまま解剖したり、耳に熱湯を注いで鼓膜を潰したり、双子の背中同士を縫い合わせて結合双生児を作ったり……。医者って人の命を救う仕事なのに、何でこういう命を弄ぶようなことが出来るのだろう? しかも、人体実験の対象は子供である。我々の社会通念では子供は守るべき存在と規定されているので、彼のやっていることが尚更残酷に感じられたのだった。いやー、これはきつい。

そういえば、山田風太郎の『戦中派虫けら日記』【Amazon】では、医者を目指す山田がその動機を次のように書いている。

僕が医者の学校に入りたいという直接的な動機は、まず生活の安定ということが望まれるからであります。(……)次に間接の動機は、医者になることによって人間の肉体と心理を明白に知りたいと思うからであります。人の死なんとするやその声やよし、人間が肉体の苦悩の最高潮に達したとき、赤裸々に現すその心を見たいと考えるからであります。(p.28)

つまり、人命救助よりも人間への好奇心が先に立っている。医者とはそういう人種がなるものなのだろう。確かに本作のヨーゼフ・メンゲレも同様の傾向があった。彼はスターシャに対し、好奇心を保ち続けることの重要性を説いている。メンゲレ自身、好奇心によってここまで上り詰めたし、スターシャが生き延びる鍵も好奇心にあるのだ、と。

この部分を読んで、好奇心とは良い方向にも悪い方向にも転がる危険物だと思った。実を言うと、僕もかなり好奇心が強いほうで、一時は双子に異様な関心を抱いていた。大昔に個人サイトで特集ページを作ったくらいである。しかし、これって世が世なら、僕自身がヨーゼフ・メンゲレになってもおかしくないわけで、我ながら自分のやっていることにぞっとした。好奇心は猫を殺すどころか、他人だって殺しかねない。

本作はパールとスターシャが交互に語ることによって、2人の思惑が浮き彫りになるのが良かった。2人とも相手を助けようと行動しているのが実に涙ぐましい。しかし、深い絆で結ばれた2人は、離ればなれになってお互いの消息が分からなくなってしまう。外見はそっくりでも中身が違う2人は、ソ連軍によるアウシュヴィッツ解放後、それぞれ別の道を歩んでゆく。片方は記憶を失い、片方はメンゲレの殺害を決意する。果たして2人は再会できるのか? それとも別れたまま終わってしまうのか? こういう興味の引き方はベタだけど、読んでいて先が気になるところではあった。