海外文学読書録

書評と感想

ジョージ・ソーンダーズ『リンカーンとさまよえる霊魂たち』(2017)

★★★★

1862年南北戦争の最中、リンカーン大統領の息子ウィリーが急逝する。ウィリーは防腐処理を施されて墓地に葬られたが、そこには自分の死を受け入れられない霊魂たちが屯しており、ウィリーも霊魂としてそこに留まっていた。大統領が追憶に浸るために墓地を訪れると……。

みんなにこう言ってくれ、と牧師さんが言った。私たちは無の存在でいることが嫌になった。何もせず、誰にとっても何も価値もなく、いつでも恐れおののいて生きていることに疲れたんだ。(p.335)

ブッカー賞受賞作。

これはまた野心的な語り口で面白かった。本作はおおまかに言うと二つの形式で語っている。一つは当時生きていた人たちの日記や回想録からの引用で、多数の視点からリンカーン周辺で起きた出来事を立ち上げている。そして、もう一つは様々な霊魂たちによる語りで、こちらも多数の視点からそれぞれ思いのままに好きなことを語っている。つまり、普通の小説みたいに、語り手による地の文があって鍵括弧で括られたセリフがあって、みたいな語り方をしていない。細切れのセリフが連なるところは戯曲のようでもあるし、セリフのポリフォニックな響きは詩のようでもある。こういう戯曲と詩のハイブリッドみたいな語り口はかなり珍しいのではないか。このブログで何度も書いている通り、現代文学は「何を語るか」よりも「どのようにして語るか」に重点が置かれている。本作もそれを意識した作品と言えるだろう。特にこの小説、リンカーンを題材にしながらも、リンカーンの視点から書くのを徹底的に避けているところがいい。絶対に普通の語り方では語らないぞ、という強い意気込みが伝わってくる。

霊魂たちは当初自分が死んだことを認めておらず、棺桶のことを「病箱」と言ったり、死体のことを「病体」と言ったりしている。そんな霊魂たちが、「物質が光となって花開く現象」によって次々と成仏していくところは本作の読みどころの一つだけれども、個人的にもっとも心に残ったのはそこではなく、リンカーンが墓地に来てウィリーの死体を抱きしめ、やさしい言葉を耳に囁いた場面だった。霊魂たちはそれを見て衝撃を受ける。そんなことをした人は今までにいなかった、自分たちもされたことがない、と。そして、彼らはこうも思う。「我々は愛されない存在なのだと信じるようになっていたが、実はそうでもないかもしれない」(p.88)と。

当然のことながら、人は死んでしまったら遺族がどういう言動をするのか確認できない。果たして自分は愛されていたのか、遺族は悲しんでくれるのか、彼らにとって自分はどういう存在だったのか。死んでしまったら永遠に謎のままだ。僕は子供の頃、そういうことを気にしていたことがあった。自分は家族から必要とされていないのではないか。そういう心配をしていた。大人になった今ではすっかり諦めがついたけれど、それでもまあ、自分がどれだけ愛されていたか多少は気になるところではある。この部分を読んで、幼かったあの日を思い出して懐かしくなった。

ところで、これは個人的な見解だけれども、21世紀に入ってからはアメリカ文学が世界文学の最先端を走っているような気がする。僕が読んだ限りでは、「どのようにして語るか」という部分で工夫を凝らした作品が多い。21世紀初頭は、創作科出身の移民3世による小説*1ばかりで食傷気味だった。ところが、最近のアメリカ文学は掛け値なしに素晴らしい。どうしてこうなったのか、専門家のしっかりした解説が欲しいと思った。

*1:勉強しただけあって技術的にはレベルが高いのだけど、その反面、技術だけで書いてるような小説が多い。読んでいて「いかにも創作科だなあ」と思うことが多かった。