海外文学読書録

書評と感想

馮夢竜『平妖伝』(1620)

中国古典文学大系 (36)

中国古典文学大系 (36)

 

★★★

宋の仁宗の時代。老婆の姿をした狐の聖姑姑が、滞在先の華陰県で蛋子和尚と出会う。和尚は卵から生まれた僧侶で、白雲洞の石壁から秘冊『如意冊』を写し取っていた。『如意冊』は春秋時代に白猿の化身・袁公が天上から盗み出して下界に持ち込んだ代物。秘冊を解読した聖姑姑は妖術を習得、さらに彼女の弟子になった蛋子和尚も同じく妖術を習得する。やがて聖姑姑たちは貝州で則天武后の生まれ変わりである王則と出会い……。

「天后さまがご在位の時には、仏像を鋳たり、塔を造ったり、広く仏事をおこされた功徳は少なくなかったと聞き及びます。それを、なにゆえにまだ冥土にお迷いでございますか」

「およそ人はまず清浄の心を発し、後に布施の福を得る。朕は心構えが不浄で、魔道を修めた。当時、女としての福はことごとく受けたが、ただ男になれぬのが恨めしかった。仏をあがめ祈願したのは、そのためにほかならない。いまや因縁はめぐり来らんとし、すでに上帝より、男子として生まれかわらせるとの命令がでているのだ」(p.54)

当時の中国人がどういう物語に親しんでいたのか、という意味で興味深かった。九天玄女と袁公が出てくるところは『西遊記』を連想させるし、天罡星と地煞星が出てくるところは『水滸伝』【Amazon】を連想させる。本作は『西遊記』と同じく仏教(及び道教)の影響が強い。たとえば、貝州の軍人で後に反乱を起こす王則は則天武后の生まれ変わりだし、聖姑姑の娘の胡媚児は則天武后の愛人だった張六郎の生まれ変わりである。この転生という概念は明らかに仏教が由来だろう。面白いのは、王則も胡媚児*1も自分の前世を自覚してないところだ。この辺が仏教的リアリズムというのか、転生にもそれなりのルールがあるのが垣間見える。転生すると前世の記憶を忘れるのって、物語としては広がりがなくて不便だけど、大枠である仏教がそういう設定なのだから仕方がないのだろう。ともあれ、こうやって宗教が庶民の生活に根付いているなんて、今の中国からは想像がつかない。

西洋にはキリスト教があって、中国には仏教と道教がある。中国文学は比較的最近まで神話を取り入れていたようで、本作では天上界の九天玄女が当たり前のように下界に介入してきたりする。同時代の西洋文学が素朴な神話から離れていたのに対し、中国文学はそうではないところが興味深い。神々と人間が関わり合うところはギリシャ神話のようであり、妖人が人間社会を騒がせるところはいかにも前近代的といった感じだ。本作は王則の乱という歴史的事実を土台に、妖術やら転生やらで味付けしていて、当時の中国人はこういう物語を好んでいたのかと感慨深くなった。同時代を題材にせず、舞台を過去に設定するのは、政治的に問題があるからだろうか。下手したらお上に首を斬られかねないし。いずれにせよ、中国には長い歴史があるから題材には事欠かない。

本作を読んで思ったのは、完璧な人間は存在しないし、完璧な社会も存在しないということだ。王則が反乱を起こしたきっかけは、貝州の知事が兵士たちに俸禄を支給しなかったため、彼が代わりに米と銭を与えたことによるのだけど、じゃあ王則が掛け値なしの善人かと言えばそうでもなく、権力を握った後は民草に酷い仕打ちをしている。結局は皇帝になって好き勝手したいだけなのだ。そこに正義なんて欠片もない。この俗物ぶりがおよそ則天武后の生まれ変わりとは思えなくて、何のためにわざわざ転生してきたのか分からない。皇帝の生まれ変わりという設定は、単に妖人たちを彼のもとに集結させるための餌でしかなくなっている。

「王則のあの法術は仏道で金剛禅とよび、道教では左道術とよんでおります。もし両方ともできるならば、それは二会子とよぶのですが、みな邪法で、ただ豚と羊の血および馬の尿、犬の糞、にんにくを恐れます。もしその一滴をかやつの体の上にたらせば、鬼神に変ずることもできず、妖術も使えなくなるのです」(p.355)

官軍との戦いでは、妖人たちが妖術を使って活躍するのだけど、実はその妖術を破る方法があって、しかもそれが単純な方法だったのは予想外だった。それまであまりにやりたい放題やっていたから、てっきり無敵だと思っていたのだ。しかも、彼らの妖術は天上界の秘冊が由来だし。だから上の引用を読んだときはびっくりしてしまった。神々の術を打ち破る方法があるんだなあ、と。まあ、物語を勧善懲悪で終わらせるには、妖術が無敵であっては困るわけで、落とし所としてはこんなものなのだろう。仮に妖術が無敵だったら、天下は妖人たちのものになっていて、史実と整合性がとれないから。

というわけで、本作は昔の中国人がどういう物語に親しんでいたか知りたい人にお勧め。順番としては、四大奇書*2と『紅楼夢』【Amazon】を読んだ後の落ち穂拾いにでも。

*1:後に胡浩の娘・胡永児として転生する。

*2:三国志演義』【Amazon】、『水滸伝』【Amazon】、『西遊記』【Amazon】、『金瓶梅』【Amazon】。