海外文学読書録

書評と感想

セース・ノーテボーム『儀式』(1980)

★★★★

舞台はアムステルダム。1963年。30歳のインニ・ウィントロップは、愛する女ジータに逃げられ首吊り自殺を図る。しかし、彼の自殺は未遂に終わるのだった。1953年。インニは叔母の元恋人であるアーノルト・ターズと出会う。彼は儀式的に日常を送る無神論者だった。1973年。インニは美術商の店で、偶然にもアーノルトの息子フィリップと出会う。彼は日本文化の愛好家だった。

「長いことアジアにいたんですか?」

「どうして?」

「ここはすべてがほんの少し……日本的なんです」

「ぼくは日本に行ったことはありません。現代の日本は通俗的ですよ。我々が汚してしまったんです。日本に行ったら、僕の夢は壊れてしまうでしょう」(p.184)

要約すると、儀式と自殺を巡る話といったところだろうか。主要人物の3人がこれらに関わっている。主人公のインニは物語の主体であると同時に傍観者でもあって、アーノルト・ターズとフィリップ・ターズの両者*1と時を経て関わり、彼らの人生の最終局面を見届ける役割だ。本作は1963年を舞台にした幕間、1953年を舞台にした第一部、1973年を舞台にした第二部と構成がはっきりしていて、分かりやすい時事ネタを織り込みつつ、ターズ親子をインニとの関わりにおいて描いている。無神論キリスト教、さらに日本趣味が絡まり合うところは複雑で、これらを解きほぐすのはなかなか骨が折れるけれど、読んでいる最中は登場人物の美学や哲学が面白く、総じて実りのある読書だったと思う。

信仰を持っていなくても、カトリックの演劇的な儀式に惹かれるのはよく分かる。「聖歌や香煙、儀式の色彩などがひどく気に入って、信仰もないのに修道院に入りたいと思ったほどだ」という述懐は、たとえ無神論者でも西洋に住んでいたら一度は感じるのではなかろうか。日本に住んでいる僕だと、ちょうど仏教にそれを感じる。葬式には毎度毎度うんざりしながらも、その儀式的な部分には何らかの威厳があることを認めているし。さらに僕は相撲が好きなので、そこに散見される神道の儀式にも見るべきところがあると思っている。もちろん、僕は仏教や神道の信者ではない。無神論者と言っていいだろう。儀式には門外漢さえも感心させる何かが潜んでいるわけで、だからこそ人間社会で欠かせない存在になっている。

日本趣味が全開の第二部はけっこうなサプライズだった。西洋人らしいと思ったのは、茶道でお茶を飲む儀式をキリスト教のワインを飲む儀式と重ねているところ。こういうのは僕みたいな不信心者だと想像の埒外で、指摘されて思わず目から鱗が落ちた。あと日本趣味と言えば、昔の日本は浮世絵と茶道の国だったけれど、今は漫画とアニメの国になっている。年季の入った日本文化愛好家は、この体たらくを見てどう思っていることだろう?

*1:あらすじで書いた通り、この2人は親子である。