海外文学読書録

書評と感想

ファン・ジョンウン『野蛮なアリスさん』(2013)

★★★

女装ホームレスのアリシアが、自分が生まれ育った町コモリについて語る。少年だったアリシアは、新築の家が建つまで両親と弟の4人でコンテナ暮らしをしていた。アリシアはクサレオメコの母親から暴力を受けている。町では再開発が行われようとしており、住民たちは補償金の額を釣り上げようとあれこれ画策していた。

おまえ、俺が将来絶対欲しいもの、何だか知ってるか?

何だよ。

冠。

何のために。

それをかぶって、他のトナカイ全員に、おまえらはみんな間抜けだって言ってやるんだ。

それだけ言えりゃ冠なんて要らねえよ。

要るよ、要るんだ。だってただ鼻が赤いだけじゃだれも話を聞いてくれないからな。ルドルフじゃないと。ルドルフになって出世すりゃ、みんな、聞いてくれるんだ。

じゃあ、そうしな。

うん、そうする。(p.24)

日本の文学作品みたいだった。暴力が話の中心にあるけれど、それが詩的な文体によって中和されていて、独特の世界観を作り出している。また、語り手が読者に呼びかけるような形式をとっているものの、特に同情や共感を求めているわけでもなく、物語は挿話を交えながらマイペースに進んでいく。個人的には、『ピンポン』『ギリシャ語の時間』と同じく、韓国っぽさをあまり感じさせないところが注目ポイントだった。食用の犬を飼育しているところとか、焼肉を食べに行くところとか、そういう知る人ぞ知る要素*1が時々出てくるくらい。人物名や地名が韓国っぽくないし、その国ならではの土俗的な要素もさほどなく、無国籍ぶりが際立っていた。韓国の土地開発問題が背景にあることは、著者のあとがきを読んで知ったけれど、だからと言ってその国特有の何かがあるとは思わなかったし。今まで読んできた韓国の現代文学が、どれも無国籍っぽいのはただの偶然なのだろうか。もっとたくさん読んでサンプルを増やしたいところである。

アリシアの父親が家族を連れて焼肉屋に行くエピソードが印象に残っている。実はその店はむかし父親が下男をしていたときの家の主で、父親は彼らに食事の世話をさせたくて店に通っているのだった。下男をしていたときは馬小屋と変わらない納屋に住まわされ、残飯や古着を投げ与えられて馬鹿にされていた父親。そういう見下していた相手が客として店に来るのだから、焼肉屋のほうもたまったものではないだろう。客商売においては、商品に対して金を払うほうが立場が上であることは言うまでもない。下男だった男を店で世話しなければならないかつての主。こういうことがあるから、我々は安易に他人を邪険にすることができないのだ。いつその人物が立場を利用して自分を困らせにくるのか分からないのだから……。たとえば就職の面接でも、落とした相手が将来の顧客や取引相手になるかもしれないので、あまり下手な対応はできない。圧迫面接なんてもってのほかである。悪い印象を持たれたら、後で復讐されるかもしれない。そういう意味では、資本主義社会は平等なのだと思った。

本作を読むと、文学を文学たらしめているものはまず文体だということが分かる。

*1:犬を食べる文化は中国にもあったような気がする。