海外文学読書録

書評と感想

巴金『寒い夜』(1947)

★★★

抗日戦争下の重慶。半官半民の出版社に勤める汪文宣は、妻の樹生と喧嘩して家から逃げられていた。文宣は樹生が勤めている銀行の前に行き、彼女と色々あった末に家に帰ってきてもらう。しかし、樹生は文宣の母親と折り合いが悪く、家の中で言い争いをするのだった。やがて文宣は吐血して病の床に着く。折しも日本軍が近くまで迫っているとの噂が広がっていた……。

彼女たちはいったい何でこういつもいつもいがみあっているのだろう? 何でこんな少人数な家庭で、こんな単純な関係のなかで調和を保って行けないのだろう? 何でこの自分が愛しまた自分を愛してくれている女たちが敵同士のように顔を合わせば攻撃し合わねばならないのだろう? (p.252)

集英社版世界文学全集で読んだ。引用もそこから。

これはまた何ともつらい物語だった。文宣は妻も母も愛しているし、妻と母も文宣のことを愛しているのだけど、女同士でいわゆる嫁姑問題が起きていて、家庭内に不和が生じている。妻の樹生は大学を卒業した34歳の女性で、職場の同僚とダンスに行くくらい進歩的。一方、文宣の母はそれなりに教育を受けてはいるものの、考え方は古風で進歩的な嫁とは反りが合わない。おまけに、母が文宣のことを溺愛しているのも問題だ。そのせいで樹生に対してより当たりが強くなっている。声優の明坂聡美は結婚相手に望む条件として、「長男でない」ことを一番に挙げていたけれど*1、これは圧倒的に正しい判断だと言わざるを得ない。せっかく夫とは相思相愛なのに、姑がああでは幸福な生活は送れないだろう。また、夫は夫で問題があって、妻と母の双方を取り持とうと躍起になっているところが痛々しい。もうここまで来たらどちらかを捨てるしかないのに、文宣は妻には我慢してくれと言い、母には妻のことを本当はいい人なのだと説いている。さらに、彼は自己犠牲の精神も強い。病気になってからは、妻に対して自分から離れて幸せになるよう幾度となく諭している。このお人好しぶりが実に罪深く、妻の良心を苛んで精神的に自由にしない原因になっている。いっそのこと暴君だったら、遠慮なく離婚できるというのに……。

戦時下の庶民の生活を描いたフィクションが好きだ。中国だと、日本軍の占領下にある横丁が舞台の『四世同堂』。日本だと、米軍の爆撃に晒される広島が舞台の『この世界の片隅に』【Amazon】。どちらも非常事態を前にして、力なき者はどういう生活を強いられるのか、そういう庶民にとって身近なものを描いている。自国が戦場になるとはどういうことなのかを骨の髄まで思い知らされたのだった。そして、本作も戦時下が舞台なので、日本軍の動向が登場人物たちを一喜一憂させている。日本軍が近所まで迫ってきた。やべー。日本軍が近所から撤退した。やったー。日本軍が降伏して戦勝に沸くなか、文宣がひっそりと死ぬところは残酷な対比だと思った。

実は本作の主人公は樹生かもしれない。というのも、これは一人の女が葛藤の末に自由と幸福を選び取る話でもあるからだ。女にとって「家」とは当人を雁字搦めにする監獄のようなもので、その桎梏をいかにして断ち切るかが本作の重要な課題になっている。お人好しで善人の夫を捨てる。病床で今にも死にそうな夫を捨てる。それは倫理的に非難されるかもしれないけど、自分が幸福になるためにはやむを得ない決断でもある。こういう女性像は、中国文学でもけっこう珍しいのではなかろうか。我々はもっとエゴイストになっていいのだと思う。

*1:他には、「視力が裸眼で2.0、お酒に飲まれない、女癖が悪くない、ギャンブルは程々で家計に手をつけない、暴力をふるわない、三半規管が強い、食べ物の好き嫌いがない、持病があまりなく健康、貯金をしている、家事が出来る、料理が美味しい、虫退治が出来る」を挙げている。