海外文学読書録

書評と感想

シャーロット・P・ギルマン『フェミニジア』(1915)

フェミニジア―女だけのユートピア

フェミニジア―女だけのユートピア

 

★★★

ジャングルの探検に来ていたアメリカの若者3人(テリー、ジェフ、ヴァン)が、現地人から「女だけの国」の存在を聞かされる。3人はその国をフェミニジアと名付け、飛行機で乗り込むことに。ところが、到着して間もなく彼らは女たちに拘束されて監禁されてしまう。監禁中に言葉を教えられた3人は、その国に2000年のあいだ男がいなかったことを聞かされる。フェミニジアは女だけのユートピアだった。

この国の母は誰もが神聖な存在だ。彼女たちにとってはいつの世も、母となることは、このうえない愛情とあこがれをもち、心をこめて、つまり「至高の望み」を抱いて子どもを待ち望むことだった。(……)誰もが、母となることをほかの務めよりずっと崇高なことだとみなしている。(p.248)

この小説の何がすごいって、フェミニジアが本当にユートピアだったところだ。国の広さはオランダと同じくらいで、人口は300万人ほど(けっこう規模が大きい)。処女生殖によって女だけが生まれるようになっていて、国には文字通り女しかない。ここでは母性がすべての基盤になっており、住人には「女らしさ」が著しく欠乏している。そもそもこの「女らしさ」とは生まれつき持っているものではなく、女が男を喜ばせるために無理矢理作り出されたものなのだ。「男らしい」とか「女らしい」とかいった基準が社会に存在しないのは、現代のフェミニズムにも通じる先駆的な見解と言えるだろう。そして、人々は愛国心ではなく、人類愛で結ばれているのだから頭が下がる。女が「女」ではなく、「人」として扱われる社会。その社会構造は完璧だし、人の内面も成熟している。まさに非の打ち所のないユートピアだった。

とはいえ、母性がすべての基盤になっているのは、現代の観点からすれば反PC的と言えるだろう。この社会では女はまるで「産む機械」になっていて、子供を産み育てることが生活のなかで最重要課題になっている。子供を産み育てることが生きがいであり、彼女たちにとっては名誉なのだ。現代では結婚していても子供を持たない夫婦は当たり前のようにいるし、生涯独身で子供を持たない男女もこれまた当たり前のようにいる。「産めよ増やせよ」とは結局のところ、個人が社会のために奉仕することであり、そういう全体主義的な価値観は、戦後の現代社会ではさすがに受け入れ難い。この辺はちょっと時代の制約を感じさせるところで、いくらかケチがつきそうではある。

女のためのユートピアといえば、笙野頼子の『水晶内制度』【Amazon】もあるけれど、あちらはフェミニズムを通り越してミサンドリーの領域に踏み込んでいた。本作は現代人からすれば多少違和感があるとはいえ、とりあえずはまっとうなフェミニズムを土台にしている。フェミニズム文学の古典として、なかなか興味深い小説であった。こういうのは昔の人の考えを知るうえで大いに参考になる。