海外文学読書録

書評と感想

ウィリアム・シェイクスピア『ヘンリー六世』(1588-1591?)

★★★

第一部。ヘンリー六世が治めるイングランドは、シャルル皇太子が率いるフランスと戦争をしている。オルレアンでジャンヌ・ダルクイングランド軍を打ち負かした。イングランドではグロスター公爵とウィンチェスターの司教が対立している。第二部。ヘンリー六世がマーガレットと結婚する。王妃マーガレットとグロスター公爵夫人エリナーが対立。夫人は魔術を使った廉で流刑になり、その後グロスター公爵も大逆罪で逮捕される。第三部。反旗を翻したヨーク公リチャードがヘンリー六世と和解する。ところが、ヨーク公は王妃の軍に攻められて殺されるのだった。ヨーク公の跡を継いだエドワードが戦争に勝利し、イングランドの王位に就く。その後、フランスも巻き込んでヨーク派とランカスター派で争う。

ルーシー こうして内紛という禿げ鷹が

偉大な将軍たちのはらわたをついばんでいるのをいいことに、

眠りこけた怠慢が我らの領土を敗北に売り渡す、

そのご遺体がまだ冷たくなりきっていない我らの王、

永遠に記憶に残るヘンリー五世王が

征服なさった領土だというのに。同胞がいがみ合っているうちに、

いのちも、名誉も、領土も何もかも、たちまち消えていく。(p.136)

ちくま文庫は三部作を一冊にまとめているので、およそ600ページの分厚い本になっている。部によって人物の呼び名が変わっているので、各部の冒頭についている登場人物一覧の存在はありがたかった。こういうのは便利なので一般の文芸小説にもつけてほしい。ミステリ小説にはついているので不可能ではないだろう。

シェイクスピアの史劇を読んだのは今回が初めて。こんなに人がバタバタ死んでいくとは思わなかった。有名な四大悲劇でさえ大して人は死なない。本作は戦争や権力闘争を扱っているから、大量死するのも当然と言えば当然なのだろう。権力を握るのは旨味があってお得だけど、一方では殺されるリスクも高いという諸刃の剣。特にヘンリー六世の場合、先祖が他人から王位を奪う形で即位したから、王権をめぐる火種が燻っている。ランカスター家がヨーク家の王位継承者を殺害して王冠を頂いているから、ヨーク公はそれが不満で最終的には反乱を起こしている。僕は何よりも命が惜しいので、権力の中枢には近づきたくないと思った。そこそこの地位で植物のように平穏に暮らしたい。

最近『Fate/Apocrypha』【Amazon】を見たせいか、ジャンヌ・ダルクは凛々しい聖女というイメージがあった。ところが、本作だと悪霊を召喚する魔女として描かれている。これにはショックを受けた。火刑に処される際には、一時的に刑から逃れるために、誰々の子を身ごもっている*1と言い張って、しかもそれが複数人に及んでいるから、敵からヤリマン扱いされている。こんなジャンヌ・ダルクは見たくなかった……。ともあれ、シェイクスピアの時代はこういうイメージだったと分かって興味深かった。

ソーントン・ワイルダー『三月十五日 カエサルの最期』では、史実を短期間に圧縮して作品の密度を高めていたけれど、そういう改変はシェイクスピアの史劇でも行われている。昔から続くポピュラーな手法なのだということを理解した。なるほど、歴史文学というのは、史実を年表通りになぞる必要はないわけだ。面白くなるのだったら、好きに切ったり貼ったりしてもいい。このジャンルにはあまり詳しくないので勉強になった。

*1:妊娠中の女囚は、出産するまで刑が延期される。