海外文学読書録

書評と感想

マリリン・ロビンソン『ギレアド』(2004)

★★★★

アイオワ州ギレアド。牧師のジョン・エイムズは、己の死期を悟って幼い息子へ手紙を書き始める。ジョンは1880年生まれの76歳。手紙には、南北戦争に従軍して片目を失った祖父や、無神論者の兄エドワード、親友の息子で色々問題を起こしているジャックのことなどを書き記している。ジョンは息子に自分の知っていることを継承しようとしていた。

キリスト教の観点から眺めるとき、現代世界には、それと知らずにふたつの考えが蔓延している。(もちろん、もっと多くあるだろう。しかし他のものは後回しにできる。)ひとつはこう考えている、宗教、また宗教的体験は、幻想にすぎない(フォイエルバッハや、フロイトなど)。もうひとつはこう考えている、宗教自体は幻想ではないが、あなたの信仰、あなたの宗教は幻想だ。ぼくの判断では、二番目のほうがよりひろく、深く浸透していると思う。なぜかといえば、宗教が本物であるか否かの決め手が、宗教的体験に置かれていて、個々の信仰者にとって都合がいいからだ。(p.199)

ピュリッツァー賞、全米批評家協会賞受賞作。

本作はキリスト教文学になるだろうか。といっても、思ったほど押し付けがましくないうえ、三世代にわたるスケールの大きい話で、登場人物の個性が光る小説だった。過去と現在を行き来して断片的に語っていくスタイルがはまっている。個人的には、牧師が世襲的な職業になっているところが注目ポイントだった。日本だと仏教の僧侶も世襲が多いので、こういうのは世界共通なのだろう。ただ、本来だったら牧師を継ぐべき兄のエドワードが、ドイツに留学して無神論者になって帰国するあたり一筋縄ではいかない。敬虔なクリスチャンの家庭の息子が無神論者になるのって、現代日本でたとえるなら、一般家庭で育った子供が新興宗教に入信するくらいショッキングな出来事だろう。そう考えると、心中察するに余りある。

南北戦争に従軍した祖父がなかなかの傑物だった。彼が志願したのは北軍で、奴隷を逃がすための地下道を作るのにも関わっている。このくだりを読んで、『地下鉄道』みたいなのは本当にあったのだなと感心した。もちろん鉄道は走ってないけど、地下道を使って奴隷を逃がすようなことはしている。前半は祖父についての記述が多く、遠い遠い歴史的領域に触れる楽しみがあった。先祖にまつわる話を後の世代に継承していくのは大切だと思うし、僕の家はそういうことがなかったので、語り手がやっていることはとても羨ましいと思ったりする。生きて語り伝えるのは年寄りの責務だと言えよう。

後半は親友の息子ジャックが話の中心に躍り出る。彼は子供の頃から犯罪まがいのいたずらをしている問題児で、長じてからは語り手に信仰についての急所を突いた質問をして困らせている。たとえばプロテスタントの場合、予定論(予定説)はどうも合理的に説明するのが難しい概念のようで、そのやりとりはアメリカに興味がある人なら一読の価値があるだろう。布教の最前線にいる牧師ですら答えられないとは正直思わなかった。

本作のクライマックスはこのジャックに関わるもので、終盤のある場面は、まるで世界と和解したかのような崇高さがあって感動的だった。有名な無神論者のフォイエルバッハですら、洗礼の美しさは認めていたわけだし。現代人は宗教や国家や法律が虚構であることを意識しているから、こういう話は書きづらいと思うのだけど、それを21世紀になって堂々と書いたのはすごいことかもしれない。ただ、時代を半世紀巻き戻す必要はあったけれど。

というわけで、本作は宗教アレルギーがある人でも抵抗なく読めると思う。かくいう僕がそのアレルギー持ちだったので。