海外文学読書録

書評と感想

マリリン・ロビンソン『ハウスキーピング』(1980)

★★★

語り手のルースと妹のルシール。幼い2人は母親ヘレンに連れられてフィンガーボーンにある祖母の家にやってくる。近くには洪水を起こす湖があった。そこでヘレンは子供たちを遺して自殺、姉妹は祖母に育てられる。祖母の死後は、祖母の義理の妹たち、その次は叔母のシルヴィアと、保護者が交代していく。しかし、家はずっと同じままだった。

「果樹園は売っても」祖母は厳粛にさとすような顔つきで言ったものだ。「家はとっておきなさい。健康に気をつけていて、頭の上に屋根があるかぎりはまず安泰なんだから。神のおぼしめしさえあればね」祖母はこういうことを話すのが好きだった。話すときは、知らないうちに溜めこんで習慣から捨てずにいる物のあたりに、視線をさまよわせた。それらを再生利用し出したかのような熱心な様子で。(p.26)

紛れもなく現実を舞台した現実的な話なのだけど、読んでいてあまり現実感がないなと思った。自然溢れるフィンガーボーンでの生活は、さほどテクノロジーが浸透しておらず、文明の利器といったらラジオくらいしか出てこない。テレビや洗濯機、冷蔵庫といった現代的な家電製品が見当たらず、これはいつの時代の話だろう? と思いながら読んだ*1。20世紀を舞台にしているわりには、ちょっと19世紀的な懐かしさを感じるかもしれない*2。女だけで暮らしているというのも昨今のシングルマザー家庭には繋がらず、どちらかというと19世紀的、あるいは神話的な領域に踏み込んでさえいる。家、列車、ボート、男がいない、の4つは本作において重要な要素で、仮にレポートを書くならこれらの考察は欠かせないと思う。

アメリカの自然は日本とはスケールが違うのではないか。「空から日本を見てみよう」という空撮番組を見て驚くのが、辺鄙な山奥に家々が点在しているところである。本作のフィンガーボーンも相当不便な場所で、なぜこんなところに人が住んでいるのだろう? と疑問に感じた。というのも、ここは湖が洪水を起こすのだ。日本みたいに土地がないのならともかく、アメリカは国土が広いのだから、もっとマシなところに町を作ればいいのではと思ってしまう。田舎は田舎でも、せめて洪水が起きないような場所を選ぶとか。ともあれ、本作は自然との共生も読みどころの一つで、この辺も19世紀的というか、時間を超越したような不思議な感覚をおぼえる。

私の名前はルース。妹のルシールと一緒に育った。面倒をみてくれたのは祖母のミセス・シルヴィア・フォスターだったけれど、祖母が亡くなったら祖母の義理の妹たちであるミス・リリー・フォスターとミス・ノーナ・フォスターに代わって、その二人が逃げ出したら祖母の娘のミセス・シルヴィア・フィッシャーになった。こうして保護者が何度交替しても、私たちはずっと同じ家に住んでいた。祖母が夫のエドモンド・フォスターに建ててもらった家だ。(p.3)

上記は本作の書き出しだけど、後から読み返すと状況を簡潔に説明した素晴らしい書き出しであることが分かった。正直、最初は全然知らない固有名詞がてんこ盛りで何のことやらだったので……。ところが、ただの名詞に過ぎなかった登場人物に血肉がついてから読み返すと、事情が一変してしまう。小説というのは、一時停止したり巻き戻ししたりできるところが強味だなと思った。これが劇場で映画を観るとそういうわけにはいかない。ただただ時間通りにコマが流れていく。期せずして小説の良さを思い知らされた。

*1:ちなみに、暖房は薪ストーブである。

*2:唯一20世紀的だと思ったのは、ドラッグストアが出てくるところ。