海外文学読書録

書評と感想

チャールズ・ブコウスキー『勝手に生きろ!』(1975)

★★★

第二次世界大戦期。ロサンゼルス出身のヘンリー・チナスキーは、ニューオリンズやニューヨーク、フィラデルフィアなど、アメリカ各地を転々としながら、酒と女に溺れつつその日暮らしをする。彼は様々な仕事に就くも長続きしない。戦争が終わってもその生活は変わらず、就職してはクビになりを繰り返している。彼は作家になることを目指して雑誌社に短編を送っていた。

点呼は続いた。こんなに仕事の空きがあるってのはいいもんだな、とおれは思った。でも同時に心配もした――きっとおれたち、何か競争させられるんだ。適者生存だ。アメリカにはいつも、職探しをする人々がいる。使える体は、いつでも、いくらでもいる。そしておれは作家になりたいのだ。ほとんどすべての人間は作家だ。歯医者や自動車の修理工になれるだろうなんて、全員が思いやしない。でも、自分は作家になれるとみんな知っているのだ。この部屋の五十人の男の中でたぶん十五人が、おれは作家だと思っていることだろう。ほとんどすべての人間が言葉を使い、それを紙に書くことが出来る。つまり、ほぼ全員が作家になれるのだ。しかし幸運なことに、ほとんどの人間は作家ではなく、タクシー運転手ですらなく、そして何人か、かなり多くの人間は不幸なことに、何者でもないのだ。(p.217)

日本だと私小説にカテゴライズされそう。語り手のヘンリー・チナスキーは、無頼派と言えば聞こえはいいけれど、酒と女に溺れるわ、仕事は長く続かないわで、要はだめ人間である。俗に言う「だめんず」というやつ。でも、職を転々としつつもちゃんと働いて自活しているのだから、昨今のニートよりはマシかもしれない。目立った金銭トラブルもないし、反社会的勢力に属しているわけでもない。ただ、生き方の多様性という面で考えれば、社畜ニートもチナスキーも別に大差ないだろう。一度きりの人生みんな好きに生きればいいと思う。人生に正解などないのだから。

とまあ、本作を読んでいるとそんな鷹揚な気分になってくる。なぜだろう? これはおそらく僕自身、チナスキーみたいな生き方に憧れているからかもしれない。というのも、僕が義務教育を受けていた時代は、工場労働者やサラリーマンを養成するような教育をしていて、集団生活を通して組織への従順さが求められていた。そこから外れる者は不良品として扱われ、チナスキーみたいな生き方は悪だと刷り込まれていた*1。今思えばこれは一種の洗脳なのだけど、さすがに子供だった当時はそれに気づかない。その後、大人になって世界を知ってからは、自分は何て狭い価値観のなかで生きていたのだろうと思い知ったのだった。世の学生たちは見聞を広めるために海外留学すべきだと思うが、さすがにそれは金がかかるので、せめて海外文学を読んで自分の価値観を相対化するといい。自分の知っている世界が全てではないと分かると、人生を生き抜くうえで大きな強みになる。

それにしても、本作を読んでアメリカは移動の文化なんだなと思った。チナスキーは一つの場所に定住せず、ロサンゼルスやらニューヨークやらマイアミやら、アメリカ各地を転々としている。まさに『オン・ザ・ロード』の前史という感じ。それと、戦時中なのに平時とあまり変わらない生活をしているのにも驚く。普通に外出の自由があって経済が回っているし、憲兵が幅を利かせているということもない。こういう国に戦争を吹っかけたのは間違いだったとため息が出る。

*1:ブルーハーツの「ロクデナシII」という曲に、「どこかのエライ人 テレビでしゃべってる/『今の若い人には 個性がなさすぎる』/僕等はそれを見て 一同大笑い/個性があればあるで 押さえつけるくせに」という歌詞が出てくるが、まさにそんな感じの教育だった。