海外文学読書録

書評と感想

ホメロス『オデュッセイア』(750BC?)

★★★

トロイア落城から10年。イタケーの領主オデュッセウスは、漂流先のカリュプソーの島に抑留されていた。その間オデュッセウスの屋敷には、妻のペーネロペイアの元に求婚者たちが押し寄せ、好き勝手に飲み食いして浪費を強いている。オデュッセウスの息子テーレマコスは、アテネ―女神の助けを借りて父の行方を探しに旅に出る。一方、オデュッセウスはゼウスの使者ヘルメースの来訪によってカリュプソーから解放されるのだった。オデュッセウスは船でイタケーに帰ろうとするが……。

あの武士(さむらい)のことを話してくれ、詩の女神(ムーサ)よ、術策(てだて)にゆたかで、トロイアの聖(とうと)い城市を攻め陥(おと)してから、とてもたくさんな国々を彷徨って来た男のことを。たくさんなやからうからの住む町々や気質を、それでともかく識りわけ、海上でもさまざまな苦悩を、自分の胸にかみしめもした。自分自身の命も救い、仲間の者らの帰国の途(みち)もとりつけようとつとめるあいだに。(p.7)

集英社版世界文学全集(呉茂一訳)で読んだ。引用もそこから。なお、原文は叙事詩(エポス)だが、翻訳は散文である。同じ呉茂一が訳した岩波文庫の旧版は韻文らしい。新版の松平千秋訳は散文のようだ。

本作は紀元前750年頃の作品だけど、ほとんど近現代の物語と遜色がないくらいの構築力があって驚いた。神々が人間社会に介入したり怪物が出てきたりするのを除けば、リアリズムと言っていいほど条理に適った話であり、登場人物の行動原理は現代人が読んでも納得がいくものになっている。同じ神話的な物語でも、たとえば『やし酒飲み』のようにはぶっ飛んでない。物語の後半は、イタケーに戻ったオデュッセウスがいかにして求婚者たちを排除するかに焦点が絞られており、その段取りは実に論理的である。広間にあった武器を用心のために他所へ隠すくだりがあるし、浮浪人イーロスとの決闘や弓矢試しの段は、オデュッセウスオデュッセウスであること、すなわち彼が英雄であることを示すエピソードになっている。さらに、前半でオデュッセウスが冥界に行って死者と話す場面があるのだけど、これが後半の伏線になっているのには大いに感心した。実に周到に組み立てられた物語ではないか。こんな太古の物語が現代でも通用するくらい考えて作られているのに驚いたし、よくこんな完全な形で現代にまで伝わったものだと感動してしまう。

オデュッセウスが求婚者たちを殺戮する章はすこぶる爽快で、人が大量に死ぬ場面でこんなにスカッとするとは自分でも思わなかった。溜めて溜めて溜めて……ようやくぶっ殺す! って感じなのだ。こういう読者を焦らしてカタルシスを増大させるような手法も注目すべき点だと思う。オデュッセウスって智将のイメージだったけど、実は武勇にも優れているところがポイント高い。

今回の読書で痛感したのは、名作はあらすじだけで分かった気になっちゃいけないということだ。これを読まなかったらオデュッセウスの名前の由来が「憎悪、敵意を受けるもの」だと分からなかったし、また、ここまで構築力のある物語だということも知らないままだっただろう。古典を読んでおくと近現代の文学の読解が楽になるので、これからも積極的に読んでいこうと思った。