海外文学読書録

書評と感想

コルム・トビーン『ノーラ・ウェブスター』(2014)

★★★★

ウェックスフォード州エニスコーシー。46歳のノーラ・ウェブスターは、教師だった夫モーリスを亡くて経済的に困窮し、クッシェにあるもう一つの家を売却する。ノーラには子供が4人いた。上の娘2人は家を離れており、まだ幼い息子2人とは同居している。やがてノーラは事務員に復職、元同僚のミス・カヴァナーに嫌われながらも彼女と互角に渡り合っていく。その後、ノーラは歌のレッスンを受けるようになるのだった。

四回か五回レッスンを受けた頃、ノーラは、音楽が彼女をモーリスから引き離しつつあるのを感じた。音楽は彼女を、彼と暮らした記憶や、子どもたちとの日常から離れた場所へ連れ去っていく。その感覚は、モーリスが音楽を聞く耳を持たなかったことや、夫婦で音楽を楽しむ習慣がなかったこととは関係がない。レッスンを受けているときの時間の密度がなせるわざだ。彼女はモーリスが――たとえ死後の世界にいてさえも――決してついてこられない場所に、ひとりでたどりついていた。(p.280)

丁寧に細部を積み上げた工芸品みたいな小説だった。登場人物の心理や立ち居振る舞いがきめ細やかで、本当にその人物が存在するのではと錯覚してしまう。最初から最後まで日常で起こり得ることしか書かれてないのに、それなりに起伏があって読ませるところもさすがだ。神は細部に宿るという格言の通り、徹底したリアリズムの筆致でミニマムな出来事を描いている。こういう普通の人の身近な人生を題材にするのは、現代文学の一つの潮流と言っていいだろう。堅実に作り上げられた小説世界は、まるで上質の映像作品を観ているかのようだ。ジョン・マクガハンといい、ウィリアム・トレヴァーといい、アイルランドの現代作家は、こちらの琴線に触れるような珠玉の作品を提供してくれる。

ノーラが職場でミス・カヴァナーというお局と対立するところが印象に残ってる。この女はノーラの元同僚で現在は上司にあたるのだけど、過去の因縁からノーラのことを敵視していて、問答無用の権柄ずくな態度で接している。当初は権力を笠に着たミス・カヴァナーが優勢だったものの、ノーラがそれに負けじと押し返していくところはなかなかの読みどころだ。この小説はノーラがただの受け身の女ではなく、必要に応じて喧嘩ができるところがポイントで、後に息子が学校で突然のクラス替えに遭ったときも大胆な手段で対抗している。さすが伊達に4人も子供を育ててねーなあと思った。可憐な女なんてこの世にはいないのだ。子供を持った女性は、ノーラに自分を重ねて喝采を送ること間違いなしだと思う。

この小説には70年頃にあったカトリックプロテスタントの摩擦や、当時のアイルランドの政治問題など、歴史的トピックが随所に織り込まれている。けれども、そういうのを知らなくても十分楽しめるので、丁寧に作られた工芸品みたいな小説を読みたい人にお勧めである。伝記という古典的な表現形式を洗練された筆致で磨き上げる。現代文学がどこに向かっているのか、その一つの方向性を確かめることができる。