海外文学読書録

書評と感想

グレアム・グリーン『キャプテンと敵』(1988)

キャプテンと敵

キャプテンと敵

 

★★★

寄宿学校で学ぶ12歳の少年ヴィクター・バクスター。彼の元にキャプテン*1と称する男がやってくる。キャプテンはヴィクターの父とバックギャモンで賭けをして、その息子を引き取ることにしたのだった。ヴィクターはキャプテンに着いていき、ジムと改名してキャプテンの恋人ライザと暮らすことになる。キャプテンには色々と秘密があった。

ぼくはそこで、あの禁じられた言葉を口にした。「彼は、あんたを愛しているのかしら?」

「問題は、その"愛"よ。世間の人たちは、神さまはあたしたちを愛すると言うけれど、あれが"愛"というものなら、あたしはむしろ、ほんの少しでもいいから、親切に、優しくしてもらえるほうを採るわ」(p.110)

スパイ小説みたいなプロットを用いながら、「愛」について物語っている。こう書くと陳腐な三文小説だと思われそうだけど、後から振り返って要約してみるとそう言うしかないのだ。読んでいる間は謎めいていて、なかなか掴みどころがなかったりするのだけど。

語り手のヴィクターは実の父親からは愛されてないし、母親は早くに亡くしているし、過保護の伯母からは一方的に構われている。つまり、肉親の愛情を知らずに育っていた。ヴィクターの父親は悪魔(デヴィル)と呼ばれていて、ライザが自分の子供を産むことに反対し、堕胎させて彼女を妊娠不能な体にしている(これぞ悪魔的な所業!)。当然、ヴィクターも望んで生まれた子供ではない。一方、キャプテンは『キングコング』【Amazon】に女への一途な愛を見てとって目に涙をためるような男である。ヴィクターとキャプテンとライザの疑似家族関係はとても奇妙ではあるけれど、そこには3人にとっての居場所が出来上がっていて、家族とはこういう薄っすらとした共同体がちょうどいいのではないかと思わせる。つまり、付かず離れずといった感じだ。強い重力で引きつけ合うのではなく、それぞれ弱い磁力で結びついているというか。終盤でキャプテンがライザのことをどう思っていたのか、その苛烈な行動で分かるところはなかなか胸熱だった。

本作には叙述上の些細な仕掛けがあって、キングコングを何かの暗号だと解釈しているのが何とも滑稽だった。まさかあの巨大生物が最初から最後まで重要な役割を担っているとは……。それはともかく、舞台がパナマに移る第三部からは物語のトーンが一変して困惑したけれど、キャプテンが何をして金を得ているのかじわじわと明かしてくところはそれなりにスリリングだった。もう少し前半との噛み合わせが良ければなお良かったと思う。読んでいてバランスの悪さが気になった。

*1:船長ではなく大尉の意。