海外文学読書録

書評と感想

ハン・ガン『ギリシャ語の時間』(2011)

ギリシャ語の時間 (韓国文学のオクリモノ)

ギリシャ語の時間 (韓国文学のオクリモノ)

 

★★★★

視力が失われつつある男は、カルチャースクールで古典ギリシャ語を教えていた。一方、言葉が話せなくなった女は、失われた言葉を取り戻すべく彼の講座に通っている。女は16歳のときにも言葉を話せなくなったが、フランス語がきっかけで回復したことがあった。複雑な過去を持つ2人は、やがてふとしたことで接触する。

この世の美しいものたちを信じながらも美そのものを信じない人は、夢を見ている状態にあるはずだとプラトンは考え、そのことは誰に対しても論証によって説得可能だと考えました。彼の世界ではそのようにすべてのものが逆転します。つまり彼は、自分はむしろすべての夢から覚醒した状態にあると信じていたのです。現実の中にある美しいものを信じる代わりに、美そのものだけを――現実には存在しえない絶対的な美しさだけを――信じている自分を。(109-10)

散文と詩的言語が程よく混じり合っていてとても気持ちよく読めた。これは訳者を褒めるしかないって感じ。最初は視力を失いつつある男とボルヘスを重ねるのはベタすぎるのではないかと思ったけど、読んでいくうちにそういう懸念が吹き飛んでいたのだから不思議だ。同様に、女のほうも設定が作為的なのではと思ったけど、こちらも気がついたらそういう懸念が吹き飛んでいる。要は話に説得力があるんだよね。ギリシャ語講師の男と生徒の女、お互いに欠落を抱えた者同士の接触は、ともすればエモくなりがちなところを上手く抑制して、コミュニケーションの美しさを浮き彫りにしている。女は言葉が話せないから筆談するしかないのに対し、男は目が悪いから眼鏡がないと書かれた文字が読めない。従って、女が男の手のひらに文字を書くことで、つまりは触覚によって意思の疎通をする。この場面が何とも印象的で、人と人の関わりが無性に愛おしく思えた。個人的に、実生活でのコミュニケーションがろくでもないから尚更そう感じたのかもしれない。フィクションとは虫を閉じ込めた琥珀のようなもので、時々あっと驚くものが入っている。

パク・ミンギュ『ピンポン』の項で現代文学の無国籍化について書いたけれど、本作もあまり韓国であることを意識せずに読んだ。地名や料理なんかは韓国のものが出てくるのに、さほどご当地感がない。これは登場人物に名前がないからだろうか? 男はドイツに移住していたことがあるし、物語もギリシャ語やプラトンが中心にあるし、全体的に本作はとても国際的である。英語で書かれたアフリカ文学は、世界中で読まれることを想定してエキゾチックな部分を前面に出す傾向にあるけれど、本作にはそういうところがまったくなかった。無国籍化についてはまだまだサンプルが少ないので、これからたくさん現代文学を読んでいこうと思う。