海外文学読書録

書評と感想

フラン・オブライエン『第三の警官』(1967)

★★★★

若くして両親を亡くした「ぼく」は、仕事を雇人であるジョン・ディヴィニィに任せて自分は研究生活を送っていた。2人は同じベッドで寝るほど親密になっている。ある日、「ぼく」はディヴィニィに誘われて強盗殺人に手を染めることに。それを機に「ぼく」は、3人の警官が管轄する奇妙な世界に入り込む。そこは自転車が中心の世界だった。

このとき自転車に乗った一人の男が長い燕尾服の裾を背後になびかせて急速に接近してきました。前方の丘からの下り坂をペダルを踏まずに優雅に滑走してきたとみるやぼくたちの傍らを走り抜けたのです。ぼくは六羽の鷲の眼差しを合わせたほどに鋭い眼を彼に向け、疾走しているのは果して人か自転車か、それにまた両肩に自転車をかついでいる男というのが真相なのではあるまいか、とひたすら目をこらしたのです。しかしながら、注目に値するもの、あるいは驚嘆するに足る珍現象は何も認められないようでした。(p.144)

何だこりゃあって感じの奇想天外な小説だった。本作は1940年に脱稿したものの、出版社から出版を拒否されたという。結局、著者の死後に公表されたとか。

本作は20世紀を代表する前衛小説であり、前衛的な割には読みやすくて面白いのだが、どこが面白いのかといえば、何となく波長が合うと答えるしかない。他人にその魅力を伝えづらいというか。『不思議のアリス』【Amazon】みたいなナンセンス、カフカ的な不条理、含意があるのだかないのだかよく分からない奇妙なシチュエーション。しかしそれでいて、地に足のついた平易な語り口で読みやすいという……。

語り手の「ぼく」は自分の名前を忘れていて、それがために法律の埒外に置かれたみたいなことを言われる。はたまた彼はド・セルビィなる哲学者兼物理学者にのめり込んでいて、その珍妙な学説(地球はソーセージ型だとか)に膨大な注釈がつけられている。警官たちは人間が自転車だと主張しているし、挙句の果てには「ぼく」を殺人犯に仕立てて絞首刑にしようとする。いや、殺してないじゃんって読んでいて一瞬思ったが、よく考えたら前の世界で強盗殺人をしていたので、これはこれで因果が巡っているのだ。被害者も同一人物だし。あと、たまたま出会って会話した相手が実は強盗で、「ぼく」は彼にナイフを突きつけられるのだが、同じ義足者(そう、「ぼく」は左足が義足なのだ)と分かってからは見逃してもらえるってエピソード、それが終盤に生きてくるのは意外だった。他にも本作にはサプライズがあって、ナンセンスな内容の割には普通の小説の枠組みを持っているところが堪らない。

なお、訳者あとがきではこのサプライズを警告なしで思いっきりバラしている。なので、これから読む人は注意されたい。決して訳者あとがきを先に読んではならない。