海外文学読書録

書評と感想

イレーヌ・ネミロフスキー『フランス組曲』(2004)

フランス組曲

フランス組曲

 

★★★★

(1) 「六月の嵐」。1940年初夏。パリにドイツ軍が進攻してくる。ブルジョワ一家や著名な作家、果ては銀行に勤める労働者まで、皆一様にパリから避難する。(2) 「ドルチェ」。1941年春。ドイツ兵は占領地であるフランスの家庭に宿泊、現地の人たちと交流する。やがて、ある男がドイツ兵を殺害して近所に匿ってもらう。

「泣いてはだめよ。泣くのは子ども。あなたは大人でしょう。不幸せなとき、大人の男なら知っているものよ、何を求めればいいのかを……」

彼女は待ったが返答はなかった。彼は目を閉じ、つらそうに唇を噛んでいたが、鼻にはしわが寄り、鼻孔がふるえていた。そこで彼女はかすかな声でいった。

「それは愛しあうことよ……」(p.137)

著者は1942年にアウシュヴィッツで亡くなっており、本作はその遺稿が60年の時を経て日の目を見たものだという。つまり、この小説は現代文学ではなく、戦時中の出来事をリアルタイムで描いた20世紀文学ということになる。しかも、作品としては未完で、本来だったら五部構成になるはずだったらしい。巻末に著者のノートと書簡が収録されていて、その辺の経緯を詳しく知ることができる。

ブルジョワから庶民まで、多様な人物にスポットを当てた群像劇に仕立てつつ、当時の視点で戦争を捉えているところが魅力的だった。解説によると、複数視点による語りはアメリカの作家ドス・パソスが1930年代に試みており、フランスではサルトルが『自由への道』(1945-9)【Amazon】で採用したのだという。僕は文学技法の歴史に詳しくないのでこれには驚いた。思っていたよりも最近の技法ではないか。てっきり19世紀からそういう語りが存在するのだと思っていた。

群像劇についてはともかく、当時の視点というのが何とも不思議な味わいがあって面白い。たとえば、この小説では「第一次世界大戦」や「第二次世界大戦」という言葉は当然のことながら使われていないし、今回のドイツ軍による進攻を普仏戦争の延長上として捉えている節がある。少なくとも、登場人物はこれが大戦であるとは思っていない。前回の戦争ではこちら(フランス)が勝ったが、今回はあちら(ドイツ)が勝ったみたいな認識でいる。自分たちが歴史の渦中にいるのではなく、ただひたすら日常の困難に対処しているところ、占領後はドイツ兵に支配されながらも牧歌的に生活しているところ、これらが今まで僕が抱いていた大戦のイメージとは違っていて、実際はこんな感じだったのかもしれないと思わせる。

なかでもドイツ兵のイメージが全然違った。住民たちに対して厳しい規則(銃を所持していたら死罪とか、この土地に入ったら死罪とか)を課しているものの、態度は紳士的でとても礼儀正しい。フランス貴族にとっては自国の農民よりも、ドイツ軍の将校とのほうが馬が合うくらいである。この時代を扱いながらも、ここまでナチス臭が薄いのは前代未聞ではなかろうか。一応、鉤十字の旗や「ハイル・ヒトラー」というセリフは出てくるものの、「ナチス」や「NSDAP」という単語はまったく使われず、ユダヤ人についてもわずか一箇所でしか言及されない。そもそも、本作にはユダヤ人が登場しないため、この時代の「悪」を象徴する強制収容所についても触れられていないのである。ドイツ兵が普通の人間として描かれているうえに、ナチスのネガティブなイメージが薄いのはとても奇妙で、何でこういう書き方になったのか不思議に思った。

ただ、著者の構想では続く第三部で強制収容所を出す予定だったので、これも計算づくだったのかもしれない。この後、何か大きな転回を用意していたのではなかろうか。未完のまま終わったのが惜しまれる。