海外文学読書録

書評と感想

エミリオ・ルッス『戦場の一年』(1938)

★★★★★

第一次世界大戦イタリア軍の中尉である「わたし」は、無能な将軍の指揮のもと、オーストリアとの国境付近で塹壕戦を繰り返していた。迫撃砲と機関銃による攻撃、狙撃兵による不意打ち。前線の兵士たちは、恐怖を紛らわすべくコニャックを飲みながら戦闘に参加する。

わたしは戦争について多くのことを忘れてしまったが、その瞬間のことはこれからも決して忘れることはないだろう。タバコを吸いながらニコニコ笑っている友人をわたしは見つめていた。そのとき敵の塹壕から一発の銃弾が発射された。彼はタバコをくわえたまま頭をかしげた。額にできた赤い染みから血が一筋流れ出した。ゆっくりと彼の体が崩れ落ちてわたしの足元に倒れた。彼はもう死んでいた。(p.86)

戦場での日常を描いた戦争文学の傑作だった。本作は著者の自伝的小説(フィクションではないらしい)で、1916年5月からの1年間に焦点を当てている。本作によって第一次世界大戦塹壕戦がどういうものなのかを知ることができたし、当時の兵士や将校がどのような言動をとっていたのかも分かった。これは文学的価値の他に、資料的価値もあるのではないか? 本作は戦場のエピソード集みたいな趣向で、記録文学のようなストイックさが素晴らしい。こんな傑作がなぜ世間で評判になってないのか不思議に思った。

何と言ってもインパクトがあるのが、「わたし」の上官であるレオーネ将軍だろう。「わたし」と将軍のねじくれた会話は、ジョーゼフ・ヘラー『キャッチ=22』【Amazon】を彷彿とさせる。「わたし」は将軍に戦争が好きかどうか訊かれるのだけど、「わたし」が地雷を踏まないように必死に答えを探すところが可笑しいし、何と答えても落とし所が見つからない不条理さが恐ろしい。しかも、この将軍は指揮を執らせたらとんでもなく無能で、無謀な作戦を思いつきで実行しては兵士たちを無駄死にさせている。日本でも牟田口廉也という超弩級の無能将校がいたけれど、こういう人材はどの国にも存在するのだなと妙なところで感心したのだった。考え方が現場の人間と乖離していて、正しく現実を認識できていない。それが悲劇を生んでいると同時に、どこか滑稽さも感じさせる。末端の兵士たちから死を望まれている将軍ってどんだけだよって思う。ベトナム戦争では無能な下士官が戦場のどさくさで部下に射殺されていたそうだけど、本作のレオーネ将軍も、未必の故意で部下に殺されかけている。

第一次世界大戦塹壕戦というと、笠井潔の大量死理論(ミステリ読者ならお馴染みだろう)を思い出すけれど、本作を読んだらそれも一理あるんじゃないかと思うようになった。名も無き人間の卑小な死に焦点を当てる。昔はそんなの牽強付会の暴論だと反発していたのに……。ともあれ、本作は第一次世界大戦を語るうえでの必読書であることは間違いない。兵士たちが無能な上官に振り回されている状況はなかなかショッキングだった。もっと読まれればいいのにと思う。