海外文学読書録

書評と感想

E・M・フォースター『ハワーズ・エンド』(1910)

ハワーズ・エンド (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 1-7)

ハワーズ・エンド (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 1-7)

 

★★★

シュレーゲル家の長女マーガレットは、妹ヘレンがウィルコックス家に出入りしたことをきっかけに、ウィルコックス夫人と懇意になる。ところが、間もなく夫人が病死してしまう。遺言にはハワーズ・エンドの邸宅をマーガレットに遺したいと書いてあった。遺族はそれを読んで反発するも、両家はその後も交流を続ける。やがてウィルコックス氏とマーガレットに転機が訪れるのだった。

われわれはこの話では、非常に貧乏な人たちには用がない。そういう人たちについて考えてみようとしたところで無駄であって、それは統計学者か、あるいは詩人の領分である。この話は紳士と淑女、あるいは紳士や淑女であるふりをすることを強いられている人たちのことに限られている。(62)

落ち着いた佇まいの古き良き英国小説だった(「イギリス」ではなく「英国」なのがポイント)。翻訳が吉田健一だからそう感じたのかもしれない。この人の翻訳は大昔にパトリシア・ハイスミス『変身の恐怖』【Amazon】を読んで以来だけど、吉田の古めかしい日本語は古典にこそふさわしいんじゃないかと思った。正直、『変身の恐怖』はシェイクスピア福田恆存訳みたいに読みづらいだけだったし。

この小説は、有閑階級のマーガレット・シュレーゲルと実業家のヘンリー・ウィルコックスが軸の物語で、2人を代表とした一家同士の価値観のせめぎ合いが最大の読みどころだろう。シュレーゲル家の姉妹は教養があって貧乏人にやさしい。一方、ウィルコックス家の当主ヘンリーは保守的で貧乏人に冷たい。とりわけ、マーガレットの妹ヘレンが度を越した博愛主義者で、彼女とヘンリーの価値観は真っ向からぶつかり合う。未だ婦人参政権がなかった時代の話。帝国主義時代の英国がどういうものなのか、その一端に触れられたような気がした。

登場人物のなかでもっとも鮮烈な印象を残すのが、レオナードという若い貧乏人である。保険会社で事務員をしている彼は、金持ちに追いつこうとたくさん本を読んでいて、話をするとき何かと本のタイトルや内容を引き合いに出す。この辺のキャラの立て方がまるでディケンズのようで、1人だけ別世界から来たような印象を受けた。そんなレオナードも物語ではたびたび重要な役割を果たしており、様々な人たちを刺激するカンフル剤になっている。貧乏人は助けるべきか? それとも、運命に任せて放っておくべきか? お金の問題がライトモチーフとして俎上に載せられるのも、彼がいればこそだろう。まあ、その割には終盤の扱いが酷くて面食らったけど……。

イーヴリン・ウォー『回想のブライズヘッド』【Amazon】では、ブライズヘッドが終始物語の中心地だったのに対し、同じく邸宅の名前をタイトルに冠した本作では、ハワーズ・エンドは中心から離れている時期が長い。借家として人に貸していたり、物置きとして空き家のまま放置していたりする。もちろん、重要な場面ではハワーズ・エンドが舞台になるし、そもそもこれはマーガレットがハワーズ・エンドを手に入れるまでの物語だ。とはいえ、邸宅の扱いがこんなに違うのは興味深く、古き良き英国小説にも多様性があるのだなと思った。