海外文学読書録

書評と感想

遅子建『アルグン川の右岸』(2006)

アルグン川の右岸 (エクス・リブリス)

アルグン川の右岸 (エクス・リブリス)

 

★★★★

90歳の「私」はアルグン川の右岸に住むエヴェンキ族の女で、エヴェンキ族最後の酋長の妻だった。その彼女が一族の過去を物語る。エヴェンキ族はトナカイと共に暮らす狩猟民族だったが、中華民国、日本、中華人民共和国と支配者が変わっていく。彼らは森の中で伝統的な生活を営むも、森林は伐採され、さらには国策によって定住生活を余儀なくされる。

トナカイはきっと神様がわれわれに与えたものだ。彼らがいなければ、われわれもいないだろう。トナカイがかつて私の家族を連れ去ったこともあったが、それでも私は大好きだ。彼らの目を見ることができないと、昼の太陽、夜の星を見ることができないようなもので、心の底からため息が洩れる。(29)

小説の良いところは、自分と異なる文化や生活を覗き見することができるところだよなあと改めて思った。エヴェンキ族については名前だけは知っていたものの、具体的に彼らがどういう民族なのかは全然知らなくて、本作を読んでその習俗や生活様式を知れたのが良かった。タイトルにもなっているアルグン川は、内モンゴル自治区ソ連の間を流れる国境線で、エヴェンキ族は清の時代にまで遡る歴史的経緯によって、その右岸で暮らしている。本作は一族の人物相関図が作られるくらいたくさんの人物が出てくるけど、みんな感情豊かに描かれているところが魅力的で、中国の現代文学はレベルが高いと感心したのだった。

印象に残ったエピソードを挙げていくとキリがないけれど、オオカミに片足を食いちぎられたダシーの物語は序盤のハイライトといった感じで鮮烈だった。彼はオオカミに復讐するためにタカを訓練しており、一族のなかでもちょっと異彩を放っていて、読んでるほうとしてもその挙動に注目していた。そんなダシーが突然姿を消し、ある意味で理に適った最後を迎える。これがまた何とも言えない因果を感じさせて、自然と生きることの本質みたいなものを目の当たりにしたのだった。

他にも、意に沿わぬ結婚をした男が式を挙げた日に自殺したり、妊娠した女が岩から身を投げてわざと流産したり、妙なあだ名の男がある理由で自分の睾丸を潰したり、語るべきエピソードに事欠かない。とりわけ神秘的なのが、サマン(シャーマン)と呼ばれる者の存在で、その神通力はマジックリアリズムかと思われるほど超現実的だった。人間や動物の命を代償にして、他人の傷を治したり、死にかけた人物を救ったりしている。自然と暮らすというのは、こういう超現実が現実になることではないか。そう思わせるほど不思議なリアリティがあった。

私はすでにあまりに多くの死の物語を語ってきた。これは仕方のないことだ。誰であれみな死ぬのだから。人は生まれるときにはあまり差がないが、死ぬときは一人ひとりの旅立ち方がある。(321)

この小説は数々の生が語られると同時に、同じくらい多くの死が語られる。上の引用文なんか『アンナ・カレーニナ』【Amazon】の有名な書き出しを想起させて、長生きした人間ならではの透徹した眼差しを感じさせる。苦楽を共にした者たちが次々と死んでいくところは、滅びゆく一族の悲しみを残酷なまでに浮き彫りにしていて、今の生活はいつまでも続くものではないのかと考え込んでしまう。これは決して他人事ではない。