海外文学読書録

書評と感想

董若雨『鏡の国の孫悟空』(1640)

★★★

芭蕉扇を使って火焰山を鎮火させた後の話。一人で托鉢に出かけた孫悟空は、いつの間にか時代が新唐王朝に入っていることに気づく。そこの宮廷で駆山鐸の噂を耳にした悟空は、その所有者である秦の始皇帝を探すのだった。捜索の途上で青々世界の万鏡楼にたどり着いた悟空は、鏡の中に入って不思議な体験をする。

「天よ、天よ、悟空は仏法に帰依してから、情と短気を押さえ、一人だってむやみに殺したことはなかった。今日は突然憤怒にかられ、妖怪でもなく強盗でもない、男女老幼五十人あまりの命を奪ってしまった。罪業の深さを忘れ去っていたわ」(pp.17-8)

原題は『西遊補』。全16回。邦題は『鏡の国のアリス』【Amazon】を意識してつけられている。

『西遊記』とはまた一味違ったすこぶる奇妙な内容で、17世紀にこんな小説が中国で書かれていたことに驚いた。

本作は世界が多重構造になっていて、ある世界(古人世界)では悟空が虞美人になって項羽の自慢話を聞いていたり、別の世界(未来世界)では悟空がエンマ大王になって秦檜を裁いていたりする。本編である『西遊記』がひたすら妖怪変化を倒していくという単純な構造だったので、この夢幻的で掴みどころのない内容には異質な印象を受けた。こんな奇妙奇天烈な小説を弱冠二十歳で書いた董若雨は何者だよと思う。どうしてこういうぶっ飛んだ発想ができたのか不思議だ。

一番印象に残っているのは、悟空がエンマ大王になって秦檜を裁く場面である。秦檜とは南宋の宰相で、敵国である金との講和を巡り、自国の英雄である岳飛を殺したことで相当な悪名を負うことになった。秦檜に対する評価はどうやら時代によって異なるようだけど、本作が書かれた明の時代には奸臣とされていた模様。従って、拷問によってギッタギタのメッタメタにされている。本作はこの何度か繰り返される拷問が、痛みを感じさせないような幻想的な描写になっているのが可笑しい(可笑しいと言えば、悟空が岳飛を召喚して師父扱いしているのも可笑しかった)。思えば、『西遊記』でもやたらめったら人が殺されていたけど、いずれもグロテスクさを感じさせないあっさりした描写だった。なので、この辺は当時の伝統だったのかもしれない。

とりあえず、『西遊記』を読んだ人はついでに本作も読んでみるといいのではなかろうか。分量もそんなにないし、こんな奇妙な小説なかなかないから狐につままれたような気分になる。