海外文学読書録

書評と感想

ヴィエト・タン・ウェン『シンパサイザー』(2015)

シンパサイザー (上) (ハヤカワ・ミステリ文庫)

シンパサイザー (上) (ハヤカワ・ミステリ文庫)

 

★★★★

ヴェトナム戦争サイゴンが陥落し、南ヴェトナムの将校たちはアメリカ西海岸に難民として移り住むことになる。大尉の「私」は表向き将軍に仕えていたが、実は北ヴェトナムのスパイで、情報を祖国の管理者に送っていた。将軍はアメリカで反攻計画を練っている。

私たちマルクス主義者は資本主義が矛盾を作り出し、そこから崩壊すると信じています。そのためには、人間が手を下さなければなりません。しかし、矛盾しているのは資本主義だけではないのです。ヘーゲルが言ったように、悲劇は正しいこと間違っていることとの戦いではなく、正しいこと同士の戦いにある。歴史に参画したいと思う者なら誰も避けて通れないジレンマです。(135)

ピュリッツァー賞受賞作。

本作はエドガー賞の最優秀新人賞を受賞しているし、ハヤカワ・ミステリ文庫から出ているから、バリバリのミステリ小説だと思いがちだけど、実際はスパイを主人公にした主流文学という感じだった。どちらかというと、プロットの快楽よりも語りの形式のほうに比重が置かれている。ミステリ読者はその骨太な内容に面食らったのではなかろうか(僕も面食らった)。まあ、最近のミステリ小説がどんな具合なのか分からないので、これもミステリだ! と言われたら反論できないのだけど。

本作は獄中の語り手による告白だから、語り手が何を意図しているのか注意して読まないといけないのだと思う。僕は極めて軽率な読者なので、その辺をあまり気にせず読み進めていったけれども、それにしても、語り手のバランス感覚にある種の異様さを感じたのだった。語り手はアカのスパイであるにもかかわらず、強固な信念や使命感があるわけではない(少なくとも表には出してない)。西洋人の父とヴェトナム人の母を持ち、妾の子として生まれた語り手は、アメリカに留学して完璧な英語を身に着けている。それゆえに物事を片側からではなく、両側から見ることが出来ていて、ヴェトナムとアメリカ、さらには東洋と西洋にまで射程を拡げ、まるで比較文化論の模範のような見方で物事を捉えている。特に東洋人の視点からアメリカ社会を分析しているところが刺激的で、これがアメリカ人に受けるのも頷けると思った。

語り手はスパイゆえに安穏とした生活は送れず、やんごとなき事情からその手を血で染めることになる。彼はジェイムズ・ボンドのような英雄ではないため、自分の行いに対して罪悪感を抱く。この常識人っぷりが何ともせつなくて、終盤の理不尽な仕打ちには読んでいるこちらも参ってしまった。こんな普通の人がこんな酷い目に遭うなんて、世の中間違ってるよなあと暗澹たる気分になったのだ。その報われなさがとてもきつい。語り手がアメリカに向けていた批評的な視線を、今度は作者が北ヴェトナムに向けていて、共産主義共産主義でろくでもねーなーとおぞましさを感じたのだった。まったくもって世界は残酷だ。そう慨嘆せざるを得ない。

というわけで、本作はスパイを主人公にした骨太の小説を読みたい人にお勧め。すごく読み応えがある。