海外文学読書録

書評と感想

ジョン・バース『酔いどれ草の仲買人』(1960)

★★★

17世紀末葉。裕福な家に生まれたエベニーザー・クックは、双子の妹アンナと一緒に養育される。2人はバーリンゲームという家庭教師に学び、以来彼とは長い付き合いになるのだった。エベニーザーはケンブリッジ大学で学んだ後、領地のあるアメリカのメリーランド州へ向けて波乱万丈の旅をする。

結局するところ文学もまた役には立たぬ、彼は沈痛な思いでそう結論した。文学は人生に対する単純素朴な態度を修正してくれて、おのれの人生はただ一つと決定的に思い込んでいる固定した人生観から人を解放してくれはするけれども、実際問題に対する解決策は、偶然にしか、与えてくれぬ。では、文学も無力だとすれば、あと何があるであろう? (p.460)

長い。とにかく長かった。2段組みで1000ページ近くもある。この小説が目指しているのは擬古文を駆使した古典の再構築であり、実在の人物を大胆に動かしたメリーランド州の歴史の再構築である。一見すると脱線に思われるような数々の物語が次々と現れてきて、途中からは人間関係を把握するのが困難になったけれど、その『千夜一夜物語』【Amazon】ばりの豊穣な物語には、はまる人は大いにはまると思う。主人公が純潔の誓いを立てた童貞で、癖のある従僕を連れて歩くところはまるで『ドン・キホーテ』【Amazon】みたいだった(ただし、この組み合わせは長大な物語の一部分に過ぎない)。やってることはウンベルト・エーコ『前日島』トマス・ピンチョンの『メイスン&ディクスン』【Amazon】に近いけれど、どちらかと言えばチャールズ・ディケンズジョン・アーヴィングが好きな人が気に入りそう。個人的には、全体の6割に来たところ(アメリカ大陸に着いたあたり)で飽きてしまって、もう勘弁してくれという感じだった。

「騙り」というのが本作の重要なファクターになっている。主人公のエベニーザーはしばしばその身分を従僕や知人に騙られて酷い目に遭うし、家庭教師のバーリンゲームはしばしば他人に成りすまして陰謀の裏を暗躍する。これらは物語を複雑化させる要因の一つになっているけど、身元を証明する手段があやふやだった時代を舞台にしているのでなかなかぞっとさせるものがあった。自分が自分であることを他人に認知させるのって、実はとても不安定な基盤の上に立っていて、それは現代も変わらないよなって思う。運転免許証やパスポートが有効なのは、平和できちんと管理された社会に限定されている。自分が自分であることを証明する普遍的かつ有効的な手段は未だに存在しない。考えたら背筋がぞっとしてきた。