海外文学読書録

書評と感想

ソール・ベロー『その日をつかめ』(1956)

その日をつかめ (1978年) (集英社文庫)

その日をつかめ (1978年) (集英社文庫)

 

★★★

元セールスマンのトミー・ウィルヘルムは、失業して父親と同じホテルに宿泊していた。彼は妻と離婚したがっているものの、向こうはそれを望まず、子供の養育費を請求してくる。ウィルヘルムはタムキン博士という自称心理学者の誘いに乗り、商品相場に有り金のほとんどを投資していた。

「これで一つの事実がはっきりするだろう。金もうけは攻撃だよ。それがすべてだよ。機能本位の説明になるけどね。人は殺そうと思って市場へやってくる。みんな『やっつけてやろう』と言う。これは偶然じゃない。ただあの連中は人を殺すほんものの勇気がないんで、その象徴をたてるわけさ。金だよ。空想で殺しをやってるのさ。いいかい、計算とか数とかは、つねにサディスティックな行為なのさ。たたくのと同じでね。聖書のなかで、ユダヤ人たちはひとに数を数えさせなかった。サディスティックなのがわかっていたからさ」(67)

集英社ギャラリー「世界の文学」【Amazon】で読んだ。引用もそこから。

アメリカン・ドリームの陰に隠れた敗残者の物語といったところだろうか。ウィルヘルムは若い頃、俳優になろうとしたものの、結局はエキストラの仕事しか来なかった。彼をその道に引き入れたエージェントは、ポン引きの組織を作って逮捕されている。と、そういった挫折を経て、現在は商品相場で一攫千金を狙っているのだけど、どうやらこちらのほうも見込みはない。ウィルヘルムが買った商品の相場は下がり続けているうえ、彼をその道に引き入れたタムキン博士にはどこか胡散臭さがある。ウィルヘルムは妻から生活費を無心されてにっちもさっちも行かない。どうしても金を手に入れる必要があった。

だいたい世の中に出回っている自伝や伝記は成功者のものばかりで、失敗者のものはあまり見かけない。本作みたいに負け犬の人生に焦点を当てるのは文学ならではで、読んでいて身につまされるというか、何でもっと上手く世渡りできないのかとやきもきしてしまう。でも、大多数の人間はおそらくこんな感じなのだろう。人生のあらゆる局面で間違った選択をしているのだろう。『クロノ・トリガー』【Amazon】というRPGに「強くてニューゲーム」というモードがある。これはゲームクリア時のレベルや経験値を引き継いで、最初からゲームをやり直せるモードだ。人生にも同じものがあればこんな失敗をせずに済むのに、と思ってしまう。

ウィルヘルムの父親アドラー博士という元内科医で、現在はホテルで隠遁生活を送っている。彼は相当な資産家であるにもかかわらず、ウィルヘルムに一切の金銭的援助をしていない。ウィルヘルムはそんな父親に不満を持ち、時には泣きついてみるものの、相手は取り付く島もない。アドラー博士は自分の人生に重荷を背負うの拒否しているのだ。一方で、ウィルヘルムは妻子という重荷を背負って雁字搦めになっている。この2人が実に対照的で、自由というのがいかに尊いものかを実感させてくれる。