老舎『駱駝祥子』(1936)

駱駝祥子―らくだのシアンツ (岩波文庫)

駱駝祥子―らくだのシアンツ (岩波文庫)

 

★★★★★

若くして両親を亡くした祥子は、北京に出てきて車夫になる。懸命に働いて遂に自分の車を手に入れるも、精華へ客を乗せていく途中で兵隊に徴発されてしまう。部隊は戦闘に敗北し、祥子は隙を見て付近にいたラクダ3頭を連れて逃亡、それらを二束三文で売った後、また北京で蓄財の日々に勤しむ。

俥を買えば俥を奪られ、金を貯めれば金を奪られる。自分の一切の努力は、まるで他人に踏みにじられるためにしたようなものであった! 誰も構ってくれる者はなく、野良犬にまで道を譲らなければならない。そして、揚句のはてはなおも人に虐げられて怒ることもできないのだ。(146)

『老舎小説全集』(竹中伸訳)【Amazon】で読んだ。引用もそこから。

本作は末端労働者にスポットを当てたプロレタリア文学の傑作だった。祥子は車夫をするために生まれてきたような真面目な労働者なのだけど、彼の住む世界は野垂れ死にと隣合わせの乾いた世界であって、若くて健康なうちならまだしも、歳をとったり病気をしたりするとたちまち人生に黄色信号が灯ってしまう。祥子は頑健な肉体を持った若者だから、車を奪われても貯金を奪われても、何とか生きていくことできた。しかし、これが年食った労働者だったらと考えるとぞっとするし、そもそも老後へ向けた人生プランがまったく見えないから、将来どうするのだろう? という疑問が頭をもたげてくる。退職金もなければ年金もないし、もしものための健康保険制度や生活保護制度もない。女だとさらに生きていく難易度が高くて、売春で家族を養っていた隣人の小福子は耐えきれずに自殺してしまった(もともと軍人に売り飛ばされた娘だったが、ある事情で実家に帰された)。この時代の中国は人生ハードモードすぎると思う。

僕がぞっとしたのは、祥子に趣味がまったくないところだった。彼はただ生存するために働いていて、余暇を楽しむなんて考えはまったくない。一種のワーカホリックと言えそうだけど、労力の割には得られるものが少なく、さらには失うリスクが大きいという不安定な場所に立っている。現代の我々は、読書をしたりアニメを観たりスポーツをしたりといった娯楽があり、さらには食べていく仕事以外のライフワークを持つことで何とか正気を保っている。翻って祥子は、ただ生きるために生きるという不毛な人生を歩んでいて、これでよく発狂しないなと畏敬の念をおぼえた。

真面目で高潔な労働者だった祥子が、様々な経験を経て、ずる賢い普通の車夫になりさがるところに何とも言えない寂しさがある。「砂漠に牡丹は咲かない」とは言い得て妙で、人間とは経験によっていくらでも悪い形に作り変えられてしまう。本作はその経験を小細工なしで描いた傑作であり、人生とは何なのかを考えるうえで最高の知見を得られた。本作が20世紀の中国文学を代表する小説と言われるのも伊達ではないと思う。