海外文学読書録

書評と感想

フランソワ・ラブレー『第三の書』(1546)

★★★

領主になったパニュルジュは財産を使い果たした後、結婚しようと思い立つ。しかし、彼はあちこちに相談に行くも、コキュ(寝取られ男)になることを心配して決心がつかない。ついには宮廷道化師の話を聞き、聖なる酒びんの信託を受けに航海の準備をする。

信じてほしいのは――あんたは、本当じゃないものは、信じないわけだからね――、俺さまのなにがだね、この聖なる直立男根だがね、つまりアルベンガ特産の、この一つ目入道さまがですね、世界最高のしろものっていうことだよ。(p.320)

『パンタグリュエル』の続編。

この巻は英雄譚だった前2作とは随分と毛色が違っていて、主にパニュルジュの結婚を巡ってひたすら議論が続いている。結婚の話題はだいたい紙幅の8割くらいだろうか。パニュルジュを相手に、登場人物が入れ代わり立ち代わりの長広舌を繰り広げている。パンタグリュエルはあまり活躍してなくて、この巻の主人公はパニュルジュと言っても過言ではない。とにかくみんな饒舌で、言葉の奔流に流されまくりだった。

コキュ(寝取られ男)については野崎歓『フランス文学と愛』【Amazon】で触れられていたけれども、実作で正面からテーマにしたものは今回初めて読んだかもしれない。我らがパニュルジュはとにかくコキュになることを恐れている。結婚はしたいが、コキュにはなりたくないというわけ。キリスト教の社会って不倫には厳しそうなイメージだけど、こんなに心配するということはNTRは一般的だったのだろうか。いずれにせよ、当時の結婚事情が垣間見えてなかなか興味深い。

前2作と方向性は違えど、ルネサンス的な雰囲気は健在で、例によって昔の故事やら書物やらが多数引き合いに出されている。古代ギリシアの哲学者、古代ローマの皇帝なんかはその好例。ここまですらすら古典を参照するのは、情報化社会の現代ならともかく、ようやく活版印刷といった当時だと調べるのも大変だったと思う。こと歴史に関しては、現代のインテリとさほど知識レベルは変わらないかもしれない。

下ネタも健在だった。合計10ページ以上にわたって「たまきん」を連呼するところは期待通りといった感じ。毎回思うのだけど、なぜ著者はこのシリーズに下ネタを入れようと決めたのだろう? その発想の源泉はいったい? ここまで幼児的下ネタに溢れた小説もなかなか珍しいと思うのだけど。ともあれ、下ネタに関しては作中で揶揄されていたクラウディウス・ガレノス『精子論』が気になった。