海外文学読書録

書評と感想

デイヴィッド・ロッジ『小さな世界』(1984)

★★★

大学講師のパース・マガリグルは、T・S・エリオットの詩をテーマにした修士論文を完成させたばかり。その彼が学会で出会ったアンジェリカという女性に恋をする。一方、教授のフィリップ・スワローは講演で世界中を駆け回り、彼の友人で同じく教授のモリス・ザップも、国際大学人として各地の学会に参加していた。

「人は誰でも自分自身の聖杯を求めているんだと思いますね。エリオットにとってはそれは信仰だったんですけど、別な人間にとっては、それは名声であるかもしれないし、善良な女の愛であるかもしれません」(p.22)

筒井康隆文学部唯野教授』【Amazon】の元ネタの一つだけど、大学人が主要人物の喜劇であるところ以外はそんなに似ていなかった。ストーリーとかシチュエーションとかまったくの別物。むしろ、もう一つの元ネタであるテリー・イーグルトン『文学とは何か』【Amazon】のほうが影響が大きいのではないかと思った。

話の主軸はパーシーがアンジェリカという聖杯を求めるというもので、そのために世界中を飛び回る。そこへたくさんの大学人や作家、批評家などの笑えるエピソードが織り込んであって、けっこう長い小説であるにもかかわらず、最後まで飽きさせない。とりわけ性愛に関するエピソードが多く、大学人にとって不倫は日常茶飯事、さらにはロマンスとはこういうことなのかと妙な部分で感心してしまった。まあ、学生に手を出してないだけマシだろうか。登場人物の一人が性生活のことを文学理論で説明するくだりは、さすが大学人という感じがする。

コンピュータで自分の表現を分析されて以来、小説が書けなくなってしまった作家が印象的だった。どの単語が多く使われているか調べるというものなんだけど、ああいうことをされると自分も書く気がなくなるなと思う。語彙の貧しさが白日のもとに晒されて恥ずかしいというか。あるいは、不意打ちで精神分析されるような決まりの悪さがあるというか。こういうことを生きている作家の小説でやってはいけないと強く思った。

それにしても、パースは現代だったらストーカーに分類されるだろう。アンジェリカが宿泊したホテルの部屋で以下のようなことをしたのには苦笑してしまった。

パースは、まだ湿っているタオルを洗面台の下の床から拾い上げ、頬に当てた。コップの底に残っていた水を、聖体拝領のときのワインででもあるかのように、うやうやしく飲んだ。化粧テーブルの上にあった、くしゃくしゃに丸められたティッシュペーパーを注意深くひろげ、口紅の唇形のかすかなあとをその中央に見つけると、自分の唇をそこに押し当てた。そして、アンジェリカの愛らしい四肢に触れて、まだ皺の寄っているシーツの間に裸で寝、彼女のシャンプーの残り香を、頭の下の枕から吸い込んだ。(pp.304-305)

何というか、男子小学生が好きな女子のリコーダーをロッカーから漁って舐め回すような気持ち悪さがある。いくつになっても男はどうしようもないと呆れたのだった。喜劇とは、人の本性を笑いに包んで暴き出すものなのかもしれない。