海外文学読書録

書評と感想

ジュリアン・バーンズ『人生の段階』(2013)

★★★

(1) 19世紀。軍人フレッド・バーナビーと女優サラ・ベルナールは気球で空を飛んだ。(2) フレッド・バーナビーがサラ・ベルナールに結婚を申し込む。(3) 作家の「私」ことジュリアンは妻を亡くして自殺を考えていた。

人生の各段階で、世界はざっと二つに分けられる。まずは、すでに初体験をすませた者とそうでない者。次いで、愛を知った者とまだ知らない者。さらにのちには――少なくとも運がよければ(いや、見方を変えれば、悪ければ、だろうか)――悲しみに堪えた者とそうでない者。この区分けは絶対的だ。いわば回帰線であり、越えるか越えないしかない。(p.84)

一流の作家が自分の悲しみを題材にして小説を書くとこうなるのかという感じ。発想からして全然違った。物語は3部構成である。なぜ気球のエピソードで始まるのだろうかと疑問に思い、後にそれが本筋である自己のエピソードと上手く噛み合っていることが分かって感心する。本作は日本だと「私小説」に分類されそうだが、こういう意表を突いた組み合わせ、シナプスが好調に働いたような小説は珍しいような気がする。また、自己の生活をめぐる省察にくわえ、オペラや小説(アントニオ・タブッキ『供述によるとペレイラは…』【Amazon】が登場する!)など出てくる話題も幅が広く、個人的な体験を芸術に昇華することのすごみを感じた。僕もアニメばかり見てないでもっと色々なことに関心をもったほうがいいと思った。すべてが血肉になってる有様は年の功という感じがする。

愛する人を失った者の心理を知るという意味でも興味深い。幸運にも僕はまだそういう経験がないので。あと、僕は前々から食うためにプライベートを切り売りしなければならない人は不幸だと思っていた。売文業を軽蔑さえしていた。しかし、著者にとっては本作を書くことがグリーフ・ワーク(喪の作業)であり、人生を次の段階へ進める通過儀礼なのである*1。そう考えると、自分のこれまでの見識を改めるべきかと殊勝な気持ちになっている。そして話は戻るが、何で自分の悲しみを書くにあたって気球のエピソードを入れようと思いついたのか、著者にインタビューしたいと思った。この発想が本当に光っている。

*1:追記。イーユン・リー『理由のない場所』も本作と同様のグリーフ・ワーク的な小説だった。この手の形式は以外とポピュラーなのだろうか。