海外文学読書録

書評と感想

オルダス・ハクスリー『すばらしい新世界』(1932)

★★★

フォード紀元632年。世界では人間が工場で生産され、赤ん坊の頃から階級が固定していた。支配階級のバーナードは、生まれつきのコンプレックスから周囲とは浮いた行動をとっている。ある日、彼は野蛮人の居住区へ旅行し、文明人を両親に持ちながら野蛮人と暮らすジョンと出会うのだった。

「僕はいつも独りぼっちでした」とジョンは言った。

その言葉はバーナードの胸に悲しい共鳴を生んだ。いつも独りぼっち……。「僕もそうだよ」と思わず真情を吐露した。「ものすごく独りぼっちだ」(p.196)

エヴゲーニイ・ザミャーチン『われら』(1920-1921)【Amazon】、ジョージ・オーウェル『一九八四年』(1949)【Amazon】と並ぶ三大ディストピア小説の一つ。実のところ、『われら』も『一九八四年』も大昔に読んだので内容を覚えていない。ただ、この2作が共産主義から多大な影響を受けたのに対し、本作はそれとは別の大量消費社会から想を得ているのが興味深かった。作中の文明人たちは自動車王のヘンリー・フォードを神として崇めているのである。ただその一方で、登場人物にレーニンマルクスといった社会主義者の名前をつけているので、ソ連からの影響がまったくなかったわけではないのだろう。いずれにせよ、他の2作とはだいぶ毛色が違っている。

『われら』と『一九八四年』は、全体主義が民衆を支配するとても息苦しい世界観だった。それに対して本作は、階層の固定化や条件づけ教育、芸術や歴史の否定といった問題があるにせよ、前2作よりはまだマシと言える状況になっている。もしこの3つの世界のどれかに住めと言われたら、僕は迷わず本作の世界を選ぶだろう。だってソーマと呼ばれる快楽薬はあるし、フリーセックスで性的には満たされるし、何より下層階級に生まれても条件づけ教育によって主観的には幸せそうだから。ディストピアのなかでは比較的生きやすい部類だと言える。

野蛮人のジョンにとって、自由と芸術と宗教を犠牲にしてできたこの世界は、愚者の楽園にしか見えない。彼はセリフの端々にシェイクスピアを引用し、キリスト教を臆面もなく信仰する原始人(=現代人)である。この辺がいかにも西洋的な価値観で、個人的には一部には賛同し、一部には賛同できないという感じだった。自由と芸術は必要だとして、宗教なんかは無用の長物ではなかろうか? というのも、宗教によって救われた人の数よりも宗教によって不幸になった人の数のほうが多いし、古来から争いの種にもなっている。優先される価値観の選別がいかにも古典だった。