海外文学読書録

書評と感想

ヒラリー・マンテル『ウルフ・ホール』(2009)

★★★

16世紀。イングランドヘンリー8世は王妃と離婚したがっていた。下層階級出身のトマス・クロムウェルは、出世してウルジー枢機卿に仕えるも、枢機卿は王の離婚問題で下手を打って失脚してしまう。その後、クロムウェルは王の側近になるのだった。

人は独創的であることでは成功しない。聡明であることでは成功しない。強いことでは成功しない。狡猾な詐欺師であることで成功するのだ。(上 p.99)

ブッカー賞、全米批評家協会賞受賞作。

『ハドリアヌス帝の回想』『この私、クラウディウス』のような格調の高さには欠けるものの、そのぶん平易な言葉遣いで訳されていて読みやすかった。トマス・クロムウェルという日本人には馴染みの薄い人物が主人公なのに、時代の空気感に惹かれてついページをめくってしまう。しかも、『ユートピア』【Amazon】を書いたトマス・モアが当時の花形的存在として登場して、2人の人生が密接に関わるところには感動してしまった。トマス・モアがこんな非業な最後を遂げていたとは知らなかったよ。

本作はこれまで悪玉として描かれがちだったトマス・クロムウェルに違った光を当てたところが評価されているようだ。しかし、個人的にはあまりそういう部分に興味がなく、どちらかというと作品世界を支配するキリスト教の存在が気になった。

というのも、本作の舞台は現代人から見るとディストピアそのものなのだ。ローマ教皇の許可がないと離婚できないというのが物語の大きな柱になっていて、それを改革して国王に宗教的権力を持たせたのがトマス・クロムウェルの果たした役割。その過程でキリスト教の異端者が焚刑に処されたり、宗教改革に反対した人物が処刑されたり、キリスト教という虚構を巡って多数の死者が出ている。これがもう異常極まりなくて、「宗教なんかなければいいのに」と心の中で何度も唱えてしまった。みながみな神というありもしない虚像を信じている。人間とは何てくだらないルールに縛られているのだろう。野蛮な中世とはこのことかと思った。

とりあえず、本作は日本人が読んで欧米人と同じ感覚で面白がれるかは疑問である。西洋の文化的コンテクストを身体レベルで共有していないと駄目なのではないか。正直、これがなぜブッカー賞を受賞したのかよく分からなかった。歴史ものならもっといい小説がたくさんあるだろう*1。『ハドリアヌス帝の回想』や『この私、クラウディウス』に比べるとどうにも安っぽい。

*1:2018/08/19追記。というようなことを書いたが、続編の『罪人を召し出せ』はとても面白かった。こちらもブッカー賞を受賞している。