海外文学読書録

書評と感想

ローラン・ビネ『HHhH――プラハ、1942年』(2009)

★★★★

ナチス・ドイツの時代。ヒムラーの右腕だったラインハルト・ハイドリヒは、ユダヤ人大量虐殺の実質的な推進者になっていた。そんな彼を暗殺すべく、チェコ亡命政府が2人の刺客を送り込む。

死者は死んでいるから、今さら敬意を払われたって、その当人には何の意味もない。でも、僕ら生きている人間にとっては、それはかなり大きな意味がある。個人の遺徳を偲ぶ記録は、敬意を表するべき当の本人には何の役にも立たないが、それを使う人には大いに役に立つ。それによって僕は奮い立ち、それによって自分を慰める。(p.211)

物語よりも語り口のほうが面白い小説だった。本作は語り手が暗殺計画の小説を書くという体裁になっていて、過去と現在を縦横無尽に行き来しながら話は進んでいく。この語り手というのがすごく生真面目で、小説を書くにあたって、史実を作り話にしないようあれこれ注意している。だから暗殺計画部分(?)のセリフは少ない。史料から分かる範囲での場面構築をしている。少なくとも、そういう身振りをとっている。

この場面も、その前の場面も、いかにもそれらしいが、まったくのフィクションだ。ずっと前に死んでしまって、もう自己弁護できない人を操り人形のように動かすことほど破廉恥なことがあるだろうか!(p.124)

語り手が史実を大切にしていることが伝わってくる反面、肝心の物語はポテンシャルを十分に引き出せていなかったと思う。作中で同じナチスを題材にした『慈しみの女神たち』をくさしているけど、どちらかといったら虚構に徹した『慈しみ~』のほうが面白いのではないか。あれはあれで臨場感があったし。語り口もたとえばミラン・クンデラ*1ほどの洒脱さがなくて、もう少し愛想というか、サービス精神というか、何らかの工夫が欲しかった。この手の小説は、誠実さを装えば装うほどつまらなくなるような気がする。

ただ、デビュー作でこれだけの小説を書いたのはすごいことで、野心的な試みに打ちのめされたことも確か。「語り」の魅力を堪能した。

*1:この作家の名前を出すのは適当じゃないかもしれないが、他にいい例が思い浮かばなかったので。